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願わくば数年後の私が人でありますよう


「あなたは33歳になったら、やりたいことがやれるようになるよ」

「はあ。なぜ33歳なんですか?」

「あなたのポテンシャルに、経験が追いつく。あなたの能力に見合った経験と実績を、周りも熟知している。あなたがやりたいと手をあげれば、すんなり任せられる。そんな状況が、33歳ごろに完成しているだろうから」

「……そんなもんですかね」

「うん。だから、20代の今、"やりたいこと"の実現を焦らなくても大丈夫」

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キャリアに悩むこと、生きていたら何度かあると思う。

私がキャリアに本気で悩んだのは、これで2度目だ。

社会人3年目にして、2度目の転職活動をした。

これを見た人事の方は、眉をひそめるかもしれない。
3年目で2社。1年で1社辞めている計算になる。

「実はいま転職活動してて」
「また?」

何度も言われた。返す言葉はなかった。そのとおりだ。

私にはやりたいことがある。
編集者になりたい。コンテンツの力で、誰かの役に立ちたい。

直近働かせてもらったコンテンツ制作会社は、私がやりたかった「執筆、編集」が仕事として生かせる場所だった。働けると決まったとき、とても嬉しかった。わくわくした。

そして1年間「やりたいこと」を仕事にしてみた結果、無力感と焦りが募るばかりだった。

私の「やりたいこと」は、こんなレベルではないと。自分ができることの少なさ、理想とのギャップに愕然とした。

もしかしたら私は、「やりたいこと」を仕事にすれば、すぐにプロになれるとでも思っていたのかもしれない。

現実はそんなこと全然なかった。

私は一介のかけだし編集者であり、制作物のクオリティや数字的な結果については、もう全然ダメダメだったと思う。

私が携わったものへの、私の中での満足度は、ずっと低かった。でも現実問題、私が生み出せるのはその程度のものだった。お金を払っていただくクライアントにも、協力いただいたクリエイターにも、サポートしてくれた社内へも、申し訳なかった。

もちろん仕事は1つ1つ全力でやったし、1年続けたから、それなりに質を担保しながらスピードや量を上げることにはちょっと長けた。

でも、「コンテンツのプロ」という看板を背負った会社に所属し、クライアントの大切なコンテンツに携わる重要な人間が私でいいのだろうかと、ずっと不安だった。

現実的に今の自分の経験とスキルから言えば及第点のものをつくっているはずなのに、それに対して何の価値も感じることができなかった。こんなんじゃだめだ、もっといいものを、と。丹精込めて描いた絵を毎日破り捨てている気分だった。

理想が高いことは、悪いことではない。

でも、高い理想までの間にある無数の成長点を無視してはいけない。

私はそれが壊滅的に下手だった。
高い理想を抱くことはいい。
ただ、そこにたどり着くまでの、成長過程にある自分のことを1ミリたりとも認められなかった。

完璧主義で、自己肯定感が低くて、根がクソ真面目。自分の悪いところが全部混ざり合ってできた、高い高い壁だった。

これが私の成長を妨げている。それに気づいたのが、2度目の転職活動中、人生24年目の夏であった。遅い。

理想に近づくまでの過程に耐えられないと、途中ですべてを白紙に戻したくなる。満足のいく結果に一足飛びでたどり着けない自分に愕然とする。

やり方が間違っていたのか? 自分には向いていないのか?

そんなわけない。最初からうまくいくわけがない。理想とは程遠いが、少しやれることが増えた程度の小さな成長が無数にある。それを素直に認められない自己肯定感の低さ、そして傲慢さ。

私の成長を阻害していたのは私自身だ。

そんなわけで、実際には制作会社での1年で無数の小さな成長を積み重ね、着実に少しずつ理想へ歩みを進めていたにも関わらず、「まるで理想には届いていない」と一刀両断し、小さな成長過程にいる自分をくしゃくしゃに丸めてポイしてしまった。

その結果、「もっと成長しなきゃ」と謎の焦りが肥大化し、「もっと成長できる環境」を求めて、転職に踏み切った。自分で書いていてあまりにも馬鹿らしく情けなくなってきたので本当はここで筆を置いて布団に入りたい。でも書く。

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転職活動は、30社受けて、29社落ちた。そして同じ結果にたどり着いた。
私の成長を妨げているのは、私自身である。

どれだけ裁量が大きく、柔軟で、やりたいことはすべてやらせてくれるような恵まれた環境に行っても、今の私では1年ともたないだろう。成長過程にいる自分のレベルの低さに耐えられず、理想との乖離を見て絶望するだけ。

最終面接でお祈りメールをもらった企業からのフィードバックをよく覚えている。包み隠さず、素直に自分について話したところ、もらった評価は「マネジメントコストがかかると感じた」。そのとおりだ。現実は厳しい。あと馬鹿正直に話した自分もアホだったと思う。

とにかく、私の意識が変わらない限り、どんな転職先でも私は成長できない。素直にそう感じた。

ところで、『山月記』の主人公・李徴は、秀才であるがゆえに自信家で、高すぎる自尊心のために下級官吏という屈辱的な環境に耐えられず、発狂して山に消え、虎となった。
彼がなぜ虎になったのかを友人の袁傪に語った台詞は、あまりにも有名だ。

己は詩によって名を成そうと思いながら、進んで師に就いたり、求めて詩友と交って切磋琢磨に努めたりすることをしなかった。かといって、又、己は俗物の間に伍することも潔しとしなかった。共に、我が臆病な自尊心と、尊大な羞恥心との所為である。己の珠に非ざることを惧るが故に、敢えて刻苦して磨こうともせず、又、己の珠なるべきを半ば信ずるが故に、碌々として瓦に伍することも出来なかった。

中島敦 『山月記』

「自分には才能があるはず」というプライドと、「才能ナシと周りに思われるのが怖い」という臆病さから、他の人と同じようにいちから技術や経験を積んで成長するための努力をしなかった。だから虎になってしまったのだと。

まさか24歳独身女、最も共感する相手が隴西の李徴だとは思いもよらなかった。

私もまた、臆病な自尊心と尊大な羞恥心をどうにか克服しなければいけない。さもないと、誰とも心を通わすことなく、貧相な自分の「才能」を信じて職を転々とさまようキャリアゾンビになってしまう。

私が真に成長するためには、「才能の証明」という臆病な自尊心や、「理想へ一足飛び」などという尊大な羞恥心は捨てて、ショボくダサく半人前である自分を素直に認めながら、一歩ずつできることを増やして努力することなのだと思う。

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そんなわけで、私は「ステップアップ=理想へ一直線」の転職ではなく、「ステップバック=今の自分を認める」ための転職をした。
新卒で入った会社、つまり1社目へ戻り、いちからやり直すことにしたのだ。

自分の中長期的な成長を考えて、地道な経験を積み、数年かけて切磋琢磨すること。苦しくても満足できなくても、ぐっと我慢して努力を継続すること。それが、将来大きく成長するための土台になることを信じて。

……でも実は、お恥ずかしいことに、1度目の転職でも同じように、ダメな自分を認めて再スタートしようと決意した。それはnoteにもたくさん書いた。2年ほど前のことだ。
新卒入社した営業職で、心と体をぶっ壊した。人に頼れない自分の傲慢さや、完璧主義なところを自覚した。

天才なんかじゃない、ありのままの自分を認めていこうと決意した。
そうして、自分に合わない営業職を辞め、自分がやりたかった編集者の職につくことができた。

でも、その決意は日々の仕事に忙殺され、薄れ、失敗した。やりたいことを仕事にしてしまったがゆえに、「才能」を信じる私の中の李徴は、思ったよりしぶとく生き残ってしまった。

もう同じ失敗は繰り返したくない。

だから、恩師の言葉を信じた。

「今、"やりたいこと"の実現を焦らなくても大丈夫」

やりたいことをやるために、私はまず土台から作り直さねばならない。

せっかく編集者への道へ最短で飛び込むことができたのに、歩むことができなかった。それを後悔していないと言えば噓になる。
でも、最短ルートだけが正解ではないから。

臆病な自尊心と尊大な羞恥心を捨て、時間をかけて己を磨く準備をしよう。やりたいことをやるために。

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1社目に戻った今、幸いにも、1年目とは違って営業職ではない部署へ配属になった。コンテンツやデータマーケティングに関わりたいという私の要望を汲んでもらい、自社サービスのコンテンツマーケティングやデータ分析をやらせてもらっている。

もちろんすべてが初めてのことで、経験が生きるなんてことはほとんどない。毎日毎日、自分の知識不足・スキル不足に泣いている。これは誇張ではなく、実務に携わり始めてから数週間はマジで毎日泣いていた。

でも、1年目と違って、自分一人でやらなきゃ、とか、こんなのもできないなんて、とかは、思わない。
できないことはできないと言えるようになったし、周りに頼ることもできるようになった。早く一人前になりたいという焦りはやっぱりあるけれど、今の自分ならこれでも及第点だと思えるようになった。

心身を壊した会社へ戻るなんて、という反応をもらうことも当然ある。でも、私自身は戻ってよかったと思っている。(そもそも1年目で私が心身を壊したのは私自身の凝り固まった精神的要因が主であり、会社がブラックだとかの環境要因ではない)

むしろ、こんな未熟で即戦力にもならない人材を受け入れてくれる場所があることに、心から感謝している。せめて恩返しができるようになるまで、地道に経験を積み、役割を全うしようと思う。

そしてまたいつか、編集の道へ戻りたい。

願わくばそのときの私が、虎ではなく、人でありますよう。




2022.01.08 
寅年ですが、新年の抱負と生存報告を兼ねて。今年もどうぞよろしくお願いいたします。


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