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声に出して読みたい阿波弁で、スペキュラティブなライティングについて考える

こないだな、ライター講座に行ったんよぉ。ほこでな、課題っていうか、ワークっていうか。ほこで集まった、うちも入れて5人おったんやけどな、各自で考えるシートみたいなん配られたんよ。ほんなかに、書いとったこと、話さしてな。

まあ、いろいろ書く欄はあったんやけどな。一個、ずばーん!ずきゅーん!て来たんがあってな。ほれが、「伝えるまたは表現することで、何かを掴んだ体験」て項目だったんよ。

うちな、絵描くん好きなでぇ。え、知らんので。ほうよ、ときどき絵描くんじょ。あんまうまぁはないけんどな、ほんでも好きやけん、まあ、たまに。

何年か前にある人にな、「わたし、いつかこんな作品作ってみたいんです」って言うたことがあるんよ。あ、散々絵のこと言うたけど、その作りたい作品は絵、関係なかったわ。まあ、ええか。

ほしたら、その人がな、デザイナーさんしよる、うちからしたらほんまごっつい人なんやけど。その人がな、「それはスペキュラティブデザインや」って言うてくれたんよ。

ほんときは、「す………すぺ……??」て感じでな、なんのこと言われたんかもわからんぐらいでな。ほなけんど、カタカナやし、なんか響きがかっこええでぇ。ほれに、ほの、ごっつい人に言われたってゆうんが、うち的に、もう最高の褒め言葉に聞こえたんよ。ほなけん、いそいでその足で、図書館に本借りに行ってな。スペなんちゃら〜ゆう本借りて読んだわ。

ほんでな、どんだけうちが理解できとうかもようわからんけんど、どうやらなんか新しい概念みたいなでな。ほなここからちょっとかしこい話になるけん、ちゃんとついてきいよ。

スペキュラティブってゆうんは、思索するって意味があるんやって。ほなけん、スペキュラティブデザインちゅうんは、まあ、簡単にゆうたら、考えさせるデザインてことやな。

いままでのデザインてゆうんは、問題を解決するんが求められてきたらしいでぇ。まあ、たしかにほうやな。デザインてゆうんは、わかりよぉに、はよぉ伝えるもんでないとなぁ。

ほら。なんかようトイレのマークやら、AEDのマークやら、話題になっとぉだろ。なんかしゃれてはおるけど、男や女や、AEDやなんや、ようわからんデザインで、これじゃ大変やとかなんとか。よう見かける議論じゃわ。

スペキュラティブなデザインてゆうんはな、未来に向けて問題を提起するようなデザインなんやって。うん、なんや、よう分からん。うちもよう分かってないわ。

でもな、はじめのワークシートに書かれとった項目に戻るけんどな。うちな、「伝える」と「表現する」ことは大きい大きい違いがあると思うんよぉ。どう思うで。

いろいろ、いろいろ考えてな。うちにとって表現するってゆうんはな、いまおる部屋にゴミ箱を一個置くことなんよ。ただ置くだけなんよ。

でもな、伝えるってゆうんはな、「これはゴミ箱で、使ったティッシュとか、お菓子の袋とか入れるんですよ。あ、分別はしてね」って言うことやと思うんよ。

ほら、表現するんはな、道で一人で歩いとっても、なんか自分の気持ちを表現することできるだろ。できるってゆうか、自然にみんなしとうことやと思うよ。目線上げるか、落とすか、歩く速度も歩幅も、手の振り方もカバンの持ち方も。いっこいっこが表現やと、うちは思うんじょ。

ほなけどな、伝えるってゆうんは、自然と「何を?」「誰に?」って思うてしまわんで?やっぱ、ほこが大きな大きな違いなんよ。

ほんでな、スペキュラティブって話に繋がるけんどな。うち、ライターしよって、言葉使う仕事しよって思うんよ。

やっぱり言葉ってごっつい力があるなって。

ほんな言葉を使う仕事しときながら、うちは伝えることよりも表現することのほうがしたいって思うし、問題解決の言葉より、問題提起の言葉が使いたいって思うんよ。

うちが誰かのことを代弁して、「ほな、あの人が、あやって言よったけん、ほうなんじゃ」って思われたあないんよ。これは、うちがまだ責任を負いきれん、臆病なだけなんやろか。

ほんま言うたらな、かっこいい言葉で言うたらな、スペキュラティブなライティングを書きたいんよ。

でもな、言葉っていうツールはな、どこまでスペキュラティブになれるんやろか。ずっと考えとんやけど。そもそも言葉の持つ「伝える」力からしたら、スペキュラティブであるんは難しいんかもわからんなぁって。まあ、まだしばらく考えてみるわ。

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