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13歳の壁を乗り越えろ 第10話

【第10話】

 翌朝、夜が明けきらないうちに目が覚めた。
 5時15分。グッスリ眠ったせいか、やけに目覚めがいい。二度寝もできそうにないので、母さんに録画してもらった記者会見を見ることにした。前の日の自分のやつだ。
 リビングでHDDレコーダーの電源を入れ、録画一覧の画面を出す。それを見て、「あっ」と声が漏れた。
 録画されていたのは、憧れの権藤キャスターのニュース番組だった。
 考えてみれば当然だ。会見した時間、ズバ解の放送局では権藤キャスターのニュース番組を放送しているのだ。
 権藤キャスターに見られたと思ったら、背中に汗が滲んできた。
 正座して恐る恐る再生ボタンを押してみる。
 番組は記者会見場の中継から始まっていた。画面には、詰めかけた報道陣。左上の時刻は4時55分となっている。
「塩田正樹君の会見は、司会を務めるズバっと解決TVのスタジオで行われます。ご覧ください、既にたくさんの報道陣が集まっています」
 そこでカメラが横に振られ、声を潜めて喋る女性リポーターを映し出す。
「あと5分ほどで会見が始まる予定です。そこで、共演している篠原夢叶さんとの熱愛報道の真相について、塩田君本人が、自分の口で語るということです」
 画面の右下、ワイプと呼ばれる小窓にスタジオの権藤キャスターが映っていた。口を真一文字に結んでいる。
 その直後、画面に社長と僕が現れた。ものすごいフラッシュの数だ。
 録画の目的は、自分がちゃんと喋れたかどうか確認するためだった。しかし、今となっては、もはやそんなことはどうでもいい。気になるのは、権藤キャスターの反応だけだ。
 だから会見はすっ飛ばした。リモコンの早送りボタンで映像を進める。
 心臓がドキドキいってきた。
 画面左上の時計が5時31分になったところで会見が終わり、スタジオの権藤キャスターに映像が切り替わった。慌てて一時停止ボタンを押す。行き過ぎたぶん少し戻してから、改めて再生した。

 リモコンを床に置き、正座した膝頭を両手でギュッと掴んだ。
 画面の中にはワンショットの権藤キャスター。首を軽く傾げて黙っている。5秒ほどして、ようやく口を開いた。
「塩田君は、目の前にある大きな壁を乗り越えられたのではないでしょうか。さて、次のニュースです」
 そのコメントは、あまりにも呆気なかった。呆気ないぶん、ズシリと胸に響いた。
 芸能活動を続けるかどうか自問してきた日々に、その瞬間、ようやくケリをつけることができた。
 僕は、13歳の壁を乗り越えたのだ。
 
 週明け、学校に行くと朝から会見の話題で持ち切りだった。
 一度も話したことのない隣のクラスの女子に「堂々としててカッコよかった」と褒めてもらったほどだ。
 ただ、佑次だけは相変わらずで「最初のお辞儀がちょっとインギンブレイな感じだった」と真顔で注意してきた。家に帰ってインギンブレイを辞書で調べて納得した。
 慇懃無礼。言葉や態度が丁寧すぎてかえって無礼であるさま。
 言われてみれば、あのときはゆっくり5秒数えることしか頭になかった。慇懃無礼と思われても仕方ない。

 その日の夜。ZCPのグループLINEに、小池さんからメッセージが届いた。食事しているウサギのスタンプ付きだ。

   『スペシャルには、昨日の会見も差し込む予定で鋭意制作中!
    で、オンエアはクリスマスイブだし、
    せっかくだからみんなで放送見ながらパーティーでもしない?
    先約が入っている人は無理しないで下さい』

 トモちゃんと夢叶ちゃんからすぐにOKの返事がきて、慌てて僕も「喜んで参加します」と送った。

 それなりに反響もあった会見は、大きな副産物を生んでいた。
 僕の勇気を称えてくれたネット住民が『夢叶ちゃんを誹謗中傷から守る会』をネット上に立ち上げたのだ。悪口の書き込みを見かけたら削除を促し、応じなければ管理者に通報する。少しずつ、でも確実に状況が変わってきた。
 会見中から投稿が始まった『#塩田正樹の会見』にも、ありとあらゆる意見が寄せられていた。その中には、あの人のコメントもあった。
 ヤッシーさんだ。もちろん、ヤシの木のアスキーアートつき。

   『かっこよかった! 見ていてスカッとした!
    これからも俺はズバ解を応援し続ける。
    勇気を出して立ち上がり
    マスコミまで動かしてしまうなんて、
    大人だって、そうそうできることじゃない。
    正樹は、すごく大きなことをやらかしたんだ。
    これからも胸を張って芸能界で生きていってほしい』

 親戚のおじさんのような目線で綴られたコメントに、胸が熱くなった。
 文章はまだ続く。その文字を目で追っていき、最後の一行を読んで全身が凍り付いた。

   『それにしても、会見では、正樹が大きく見えたなぁ。
    ひとまわりも、ふたまわりも成長したようだった。
    もうマックのハッピーセットも卒業か(笑)』

 なんで? 
 なんでヤッシーさんが、僕がハッピーセットを好きなことを知っているのだ。秘密を打ち明けた相手は一人しかいないのに……。
 知っているのは花林社長だけだ。
 でも、社長はネットなんかには疎そうだし……と思いかけて、ハッとした。
 社長が太い親指を操り、猛烈な勢いでスマホに文章を打っているのを思い出したのだ。あの指使いならアスキーアートだって打てるかも。
 そんなふうに考えていたら……。
「あーーーー!」
 気づいてしまった。
 花林社長、はなばやし、ばやし、やし、ヤッシー。ヤッシーさん!!!
 予想が確信に変わった。
 僕が挫けそうなとき、いつもエールを送ってくれていたのは社長だったんだ。
 ヤッシーさんのメッセージにすぐさま返信した。

   『ヤッシーさんいつも応援ありがとございます。
    13歳の誕生日はまだ迎えていませんが、
    なんとか目の前の壁を乗り越えられそうな気がします。
    今後とも応援よろしくお願いします。
    でも、ハッピーセットは卒業しません(笑)』
 
 塩田正樹の公式アカウントから投稿した。「ネット投稿は実名で」生放送で自分が言ったばかりだ。
 社長が書いたハッピーセットのくだり。正体をバラすためにわざと書いたのか、それともうっかり書いてしまったのか。それは、どちらかわからない。でも、そんなのは、もうどうでもいい。
 僕の中で、何かが変わり始めている。
 ここからが子役タレント……違う。ここからが、タレント塩田正樹の新たなスタートだ。

 12月24日。
 クリスマスと僕の誕生日を兼ねたパーティーが、小池さんの部屋で開かれた。玄関に小さなキッチンがついていて、奥に8畳ほどの部屋がある一人暮らし用のアパートだ。
 山ほど買い込んだフライドチキンを囲みながら、4人でズバ解スペシャルの放送を見た。
 番組は僕の悩みを縦軸に据え、あいだあいだに一般中学生の悩みが入ってくるという構成。原宿と船橋で僕らがインタビューしたやつだ。そこに出てくる、ミライさんのスケスケフューチャーが効いていた。
 記者会見も構成に組み込んであった。「LOVEではなくLIKEです」その場面で小池さんとトモちゃんに冷やかされ、ちょっと恥ずかしかったけど。
 それから権藤キャスターの一言も。「塩田君は、目の前にある大きな壁を乗り越えられたのではないでしょうか」改めて見ながら、ふと思った。
 もしかして、権藤キャスターは僕の悩みを知っていた?
 僕が置かれている状況を知ったうえで、予め用意しておいたようなコメントだったからだ。
 小池さんに聞いてみる。
「僕の悩み、権藤キャスターに伝えてました? 13歳の壁のこと」
「あぁ、それな。俺もビックリしたよ」
 小池さんが頬張っていたチキンをシャンパンで流し込む。
「実は、まだ会見を開くのが決まってないとき、権藤キャスターにコメントをもらおうと考えてたんだ。そしたら正樹が会見を開くって言い出して。で、結局インタビューは依頼しなかった。だから、権藤キャスターは何も知らないはず」
 それを聞いて、権藤キャスターへの尊敬がさらに深まった。人の気持ちを読み取る力。本質を見抜く力。スゴイとしか言いようがない。

 パーティーは、ケーキを食べてお開きとなった。
 最寄り駅まで夢叶ちゃんと並んで歩く。小池さんとトモちゃんは一緒じゃない。駅まで送ってくれるという二人の申し出を夢叶ちゃんが断ったからだ。
 ポツポツと歩きながら、久しぶりに二人きりで話した。
「小池さんとトモちゃん、たぶん付き合ってるよ。あたしの勘だけど」
「え、そうなの? なんでなんで?」
「ケーキ切るとき、トモちゃんがキッチンからお皿とフォーク、それに包丁を持ってきたじゃない。初めての家だったら、あんなにすんなりいかないよ」
 そう言われれば、小池さんの部屋にトモちゃんは妙に馴染んでいた。
「きっと二人は、今回のZCPで急接近したのよ。撮影の途中から、小池さんトモちゃんに対して敬語じゃなくなってたし」
 13歳でもさすが女性だ。観察力が鋭い。
 夢叶ちゃんが、僕をチラリと見て言った。
「LIKEじゃなくてLOVEでも良かったんだけどな、あたし」
「え……?」
 突然のことで足が止まってしまった。
 呆気にとられる僕をよそに、夢叶ちゃんは「あ、このあとパパとケーキ食べる約束してたんだ。じゃあ急ぐから」と走って行ってしまった。
 背中のポニーテールがウキウキと弾んでいるように見えたのは、たぶん気のせいではないだろう。

 年末のズバ解スペシャルの視聴率は、2%には届かなかったものの1・8%。大健闘で向こう一年間の継続が決まった。
 番組は局内でも高く評判され、小池さんは社長賞を受賞した。20代での受賞は快挙だそうだ。
 スペシャルでのイメチェンに加え、記者会見の司会を見事にこなしたトモちゃんは、アナウンサーとしての株を上げ、4月から昼の情報番組のレギュラー出演が決まった。ロケコーナーで食レポを任されるらしい。
 夢叶ちゃんは、別居中のお母さんと連絡を取り、ちょこちょこ会うようになったという。ズバ解の収録でも、最近は吹っ切れた様子がうかがえる。
 因みに、イブの夜に言われたLOVEとLIKE問題は、棚上げにしたままだ。なんとなく触れるのがはばかられる。
 僕はといえば、迷うことなくシッカリ前を向くことにした。
 この先も、目の前に大きな壁が立ちはだかることは、きっとある。14歳の壁、15歳の壁、20歳の壁、30歳の壁だってあるに違いない。でも、ぶつかる度にそれを乗り越えていくつもりだ。一人で越えるのが難しかったら、誰かの手を借りてもいい。その壁を避けて遠回りするのも悪くない。
 とにかく前を見て歩き続ける。

                             おわり

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