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13歳の壁を乗り越えろ 第6話

【第6話】

 家族みんなで見たズバ解スペシャルは、いつもとはガラリとテイストが異なり別番組のようだった。
 夢叶ちゃんが、ヒトミちゃんに話を聞いて泣き出すシーンも使われていて、その場面で母さんは涙ぐんだ。現場にいた僕でさえ、改めて鼻の奥がツンとなった。
 それほど涙のシーンへの導き方が秀逸だった。小池さんの話の組み立てが冴えていたのだ。
 そこまでのストロークは、こんな感じだ。
 夢叶ちゃんとヒトミちゃんの対談がひとしきりあって、洗濯物を畳むヒトミちゃんの姿が挟み込まれた。そこにナレーションがかぶさる。
「3組に1組が離婚すると言われる時代。そのシワ寄せがいくのは、子供たちだ。親の都合で将来を縛られてしまう。それでも、ヒトミさんは自分の境遇を受け入れ笑っていた。改めて考えさせられた、本来あるべき家族のカタチ・・」
 そして、次のカットで夢叶ちゃんの顔がアップになり、あの言葉をこぼすのだ。
「3人で吸える空気はその場所にしかないんだよね。よく考えたら奇跡的なことなのに」
 昨日の夜。編集とナレーションの直し作業が終わり、放送用のテープを局に無事納品したと小池さんからLINEが届いた。『ナレーションめっちゃ苦労した』とあったけど、その苦労は今日の放送で報われたに違いない。
 小池さんにお礼のLINEを入れなければと思った矢先、LINEに着信があった。しかも続けざま。どちらもZCPグループで、ひとつは小池さんからだった。

   『正樹、夢叶ちゃんありがとう。
    おかげさまで、いい作品になったよ。
    コレで高視聴率ゲットだぜ!』

 添えられていたのは、胸の前で手を組んで涙を流すウサギのスタンプ。僕らにお礼を言っているようだ。見ようによっては、視聴率が取れるよう神様にお祈りしているようにも見える。
 もうひとつのメッセージは、夢叶ちゃんから。小池さんへの労いと、番組の感想がつづられていた。

   『小池さん、お疲れ様でした!
    ヒトミさんの心情が丁寧に描かれていて、
    自分を見て、うっかり泣いてしまいました(笑)』

 照れ隠しなのか、うっかりとつけるところが夢叶ちゃんらしい。そんなふうに思いつつ、ふと我に返って自分のダメさ加減に肩を落とした。
 騒動の発端でもある僕が、二人より先にメッセージを入れなきゃいけなかったのに……。
 結局メッセージを送ったのは、3人の中で最後。なんで、いつもこうなんだ。それでテンションが下がってしまい『すごく良かったです』と小学1年生の感想文レベルの文章を送り返す羽目になった。

 夕食のあと自分の部屋に戻って、恐る恐るスマホでネットを開いた。
 視聴者が、番組を見ながらリアルタイムでコメントするSNSを確認するためだ。
 不安とわずかな期待を込めて『#ズバ解』と打ち込んだ。ページに飛んで自分の目を疑った。
 放送が終わって30分以上たつというのに、投稿が次から次へと積みあがっていくのだ。その数は3000をゆうに超えていた。好意的なものが目立っている……ような気がした。
『真面目な感じで良かった』
『中学生です。感動しました』
『もう一回見たい! 再放送してください』
 読みながら「あっ」と声が漏れた。
 投稿の中に、あの人がいたからだ。
 ヤッシーさんだ。
 見慣れたヤシの木のアスキートアートもちゃんとある。

   『正樹と夢叶、頑張ってたなぁ。
    一生懸命やってる中学生を貶すことしかできない批判派は
    ウンコだな。
    夢叶の涙に、俺は心を洗われた気分だ』
 
 机の引き出しから電子辞書を取り出し、画数検索で漢字を調べた。
「けなす」と読むのか。それがわかったら、ヤッシーさんへの感謝がさらに深まった。折に触れ、僕らを応援してくれていた顔の見えない相手に、心を込めて頭を下げる。
 前にバラエティで共演したアイドルが「応援してくれる人が一人でもいる限り頑張ります」と、なんのてらいもなく口にしていた。あのとき「ホントかなぁ」と疑ってしまった自分が恥ずかしい。
 なぜなら、いま僕は、まさにその気分だからだ。

 夏休みが終わり、2学期が始まった。週刊新風のこともあり、学校への足取りは重かった。
 久々に教室に入ると、何人かがズバ解スペシャルを見たと声をかけてくれた。だけど、内容に触れた人は誰もいない。いつもだったら、お前の喋りわかりにくいとか、表情が硬すぎとか、助言やダメ出しをしてくれるのに。やっぱり週刊誌の一件のせいだろう。
 体育館での始業式。僕は学校への持ち込みが禁止されているスマホを学生ズボンのポケットに忍ばせていた。校長先生の話を聞きながら、いつLINEが来てもいいように、ポケットの上に右手を添えている。
 校長先生の話が終わろうとしたとき、バイブにしてあるスマホが短く震えた。
 きた!
 着信から10秒間はスマホにメッセージが表示される設定だ。先生に見つからないようポケットからスマホを半分ほど出し、画面に出ていたLINEのメッセージを確認する。
 1・5。思わずため息が漏れた。
 ズバ解スペシャルの視聴率だ。視聴率が出たら、泉さんが連絡をくれる手はずになっていたのだ。
 予想に反した数字に全身の力が抜けてしまう。正直、もっといくと思っていた。ただ、2%には届かなかったものの数字的には決して悪くない。むしろ、良いほうだ。それをどう見るか。
 体育館と校舎をつなぐ渡り廊下を集団になって歩いていると、幼稚園からの幼馴染である佑次に声をかけられた。
「久しぶりぶりブリの照り焼き」
 顔を合わせるのは一学期の終業式以来だ。面倒くさいダジャレをぶっこんでくるところは、長い休みを挟んだところで変わっていない。
「おとといのテレビ見たぞ。あの施設の女の子、わりと可愛かったじゃん。まぁ、俺の中では、可愛さでいったら夢叶ちゃんが銀河一だけど。それはそうとさ、ミライが出てるのにスケスケフューチャーがなくてつまんなかったよ」
 友達の遠慮のない言葉は残酷だ。胸にグサッとくる。でも、本心だろう。
「そんなにつまらなかった? ヒトミちゃん、取材した女の子の孤独さとかどうだった? なんか響かなかった?」
「どうだったかと言われても。まぁ一言でいうと、遠い話だなって。それよりさ、プロデューサーに話してミライをレギュラーにしちゃえよ。それで、俺のこと占ってくれよ」
「ミライさんのことはまた考えるとして、ちょっとくらい面白いところなかったの?」
 食い下がる僕に、佑次がとどめの一撃をくらわせた。
「夢叶ちゃんの涙がわざとらしかった」
「え……?」
 言葉に詰まり、反論する気にもならなかった。

 この日は、学校帰りに花林社長とランチをすることになっていた。
 校門から少し離れたところにヴィッツが停まっている。近づいて車内を覗くと、社長が片手で、恐ろしいほどの速さでスマホに文字を打ち込んでいた。太い親指を起用に使い、女子高生並みのスピードだ。
 打ち終わったのを確認してから、窓をノックして助手席に乗り込んだ。
「スマホで文字打つの速いですね」
「言われてみれば、そうだな。いつの間にか速くなってたわ。それにしても、スマホが一台あるだけで、ニュースも見られてメールまで確認できるとは、まったく便利になったもんだ。で、昼飯はいつものところでいいか?」
 車を出しながら社長が聞いてきた。
「はい。いつものところでお願いします」
 いつものところとは、家の近くのハンバーグレストランだ。サラダバーとドリンクバーがあって、しかもデザートも取り放題。
「たまには少し高いとこでもいいんだぞ。車は小さくなったけど、ステーキぐらいは大きいやつを食べさせられるから」
 社長は運転しながら、任せておけと言わんばかりに片手で胸を叩いた。
「ハンバーグがいいんです。ステーキ苦手なんですよね。前にドラマのプロデューサーに、泉さんと高級ステーキハウスに連れてってもらったとき大変な目にあっちゃって」
「フォークとナイフがうまく使えなかったのか?」
「それは大丈夫だったんだけど、肉の脂が強すぎて。残すのも悪いから無理して食べたら、ウチに帰って胸がムカムカしてきちゃって。それで、もう二度と高級ステーキなんか食べるもんかって決めたんです。あれだったらマックのハッピーセットのほうがいいや」
 僕の美味しいものランキングでは、ステーキよりハッピーセットのナゲットのほうが断然上。寧ろ一番好きなくらい。中学生になってからは、恥ずかしくて買ってないけど。因みに、ハッピーセットが好きなことを人に打ち明けたのは、これが初めてだ。
「ハッピーセットが好きとは初耳だな。まだまだマチャキ君もオコチャマってことか」
「ナゲットとポテトとリンゴジュースの組み合わせは最高ですよ。年齢制限ないから、誰でも食べられるし。社長も一回食べてみたら?」
「年齢制限ないとか、言い訳しなくてもいいだろ。好きなものは好き。それでいいじゃないか」
「まぁ、そうだけど。あ、僕がハッピーセット好きってこと、誰にも言わないで下さいよ。特に泉さんには。面白がってすぐ人に話しちゃうから」
「我が子ながら、あいつはそういうとこあるよな」社長は車を走らせながら笑った。
 ハンバーグレストランは、昼時ということもあり混んでいた。
 入り口の順番待ちの紙に名前を書いて長椅子で待っていたら、会計を済ませたおばさん二人組が、僕のほうをジロジロみてきた。僕が塩田正樹だと気づいたようだ。一人は背が低くて小太り。もう一人は長身で痩せている。
 小太りのおばさんが、ノッポのおばさんに話しかけたのが、聞くともなしに耳に入ってきた。
「アレ、正樹君よね。本物は意外と大人っぽいのね。きのう、ホラあの番組なんだっけ?」
 隣にいるノッポのおばさんに「ズバ解よ」と教えてもらい、小太りのおばさんは「そうよ、ズバ解ズバ解」と言って僕に近づいてきた。
「正樹君、いつも見てるわよ」
「ありがとうございます!」
 相手がすぐ目の前にいるのに、ついつい大きな声で返事をしてしまった。
 ファンには元気よく挨拶すること。前の事務所に入ったときに学んだ子役の処世術だ。それがカラダにしみついていて、今もたまに出てしまう。
「あら元気がいい」頬を緩ませた小太りのおばさんが話を続ける。
「おばさん、夢叶ちゃんの涙を見て、もらい泣きしちゃったわ。ああいうの大好き。また、やってちょうだいね。そうだ、週刊誌も見たわよ。あんなこと書かれても気にすることないんだからね。向こうが勝手に言ってることなんでしょ? 根も葉もない記事だってことぐらい、みんな読めばわかるわよ」
 隣で聞いていたノッポのおばさんが、眉をハの字にしていた。明らかに困っている。
 そのノッポのおばさんに肘を突かれても、小太りのおばさんはお喋りをやめようとしない。
「おばさんたちは正樹君の味方よ。応援してるから頑張って」
 僕の肩口をポンと軽く叩いて、小太りのおばさんはその場を立ち去った。
 店を出て行くおばさんのトートバックからは、僕の記事が載っている週刊新風の表紙が覗いていた。
 それにしても、と思わずにはいられない。ズバ解を見てもらい泣きしたというおばさんがいれば、つまらないと言い切る友達もいる。ZCPの結果をどう受け止めたらよいのだろう。ホントにわからない。

 食事を終えると、社長が紙を2枚テーブルに出した。
 一枚は、5色の折れ線グラフが横に走っているもの。視聴率が分刻みでグラフになっている『分計」と呼ばれる視聴率表だ。
 グラフの真ん中あたりにある赤い線を社長が指さした。
「ズバ解は、この赤い線。数字はコアで1・5%、同時間帯で民放2位は及第点だそうだ。さっき電話でプロデューサーにそう言われた」
「及第点というのは?」
「ギリギリ合格ってとこかな」
 社長も今回の結果が気になっていたようだ。視聴率次第では、所属タレントの仕事が無くなってしまうかもしれないのだから無理もない。
 社長が太い人差し指で赤い折れ線をなぞっていく。
「良かったのはグラフが下がらなかったこと。CMに入ってガクンと落ちるけど、CM明けにまた盛り返してる。それ以外は全く数字が落ちてない。これは評価できるってプロデューサーも褒めてたぞ」
 確かに、折れ線グラフは5か所ほど沈んでいるが、いずれもCMと書いてある。
 改めてグラフを眺めていたら、グイっと跳ねているところが2か所あるのに気がついた。40分過ぎと、45分あたりだ。
「社長、この上がってるところは?」
「最初のは夢叶ちゃんが泣いたとこ。中学生とはいえ女の涙は強いよな……あ、いまの発言は撤回。セクハラでアウトだ」
「最近、セクハラ気にしすぎですよ。しかも夢叶ちゃん、そんなことじゃ怒らないし、たぶん」
「普段から気を付けてないとポロッと出ちゃうんだ」
 近頃、夢叶ちゃんに対して大人たちの接し方が変わってきた。
 とりわけセクハラに関しては、他のスタッフも過敏になっているような気がする。すっかりオトナ扱いだ。
 そういえば保健体育の授業で習ったっけ。もしかしたら夢叶ちゃん、身体の作りもオトナになってきたのかもしれない。そんなことを考えていたら、なんだか恥ずかしくなってきた。
「で、2つめはミライが占ったところ」
 佑次の言ったように、スケスケフューチャーを期待していた視聴者が多かったということか。だとすると、佑次のダメ出しをちゃんと受け止めなければならない。
「それはさておき、大事なのはコッチだ」
 社長が、僕の前にもう一枚の紙を差し出した。円グラフと数字が並んでいる。
「視聴率分析表だ。視聴率が世代別になっている。番組をどの世代が見ていたかがコレでわかるんだ。半分以上を占めているのがF3層で50歳以上のおばさんたち」
 初めて目にする表だった。
 円グラフを時計にして見ると、12時から6時のあたりまでがF3。そこから9時のあたりまでがF4となっていて、M3、F2、M2の順に続いていく。
 グラフの下にある説明書きには、『F1:女性20歳~34歳』『F2:女性35歳~49歳』『F3:女性50歳~64歳』『F4:女性65歳~』とあり、男性はFのところがMになっている。
 表記の最後に『T:ティーン』とあった。そのTが円グラフに占める割合は、ほんの僅かだ。
「正樹どう思う?」
「世代別の割合は、ずっとこんな感じだったんですか?」
「いや、番組がスタートした当初はティーンが多かったんだ。それが徐々に減ってきた。休日の夕方は子供がチャンネル権を握ってるから、子供に支持される番組は数字が伸びる。日曜のちびまる子ちゃんやサザエさんの視聴率が高いのは、そのためだ」
 佑次の分析は正しかった。つまらないというのは、日本中のティーンの代弁だったのだ。
 そもそも、僕らの番組のコンセプトは『親子で安心して見られるお悩み相談バラエティ』。同年代に見てもらえなければ意味がない。
 考えながらハッとした。そういうことだったのか。
 ファミレスでZCPの打ち合わせをしたとき、夢叶ちゃんと小池さんは同年代に見てほしいと言っていた。そこには、ティーンを獲得したいという狙いがあったのだ。
「裏を返せば、だ。ティーンを獲得すれば視聴率は間違いなくアップする。2%超えだって夢じゃない」
 社長の声で我に返る。
「そうですね」と返事をしたものの、僕は完全に上の空だった。ZCPで一人だけ取り残されていたことを思い知らされ、情けなくなってきたからだ。
 13歳の壁の向こうで、夢叶ちゃんと小池さんが僕に舌を出している。絶対に二人ともするはずないのに、そんなふうに想像してしまう自分が、また情けない。
 そのあと、社長からロケのダメ出しを3つ4つされたけど、忠告は右から左にすり抜けていった。ただ、最後の一言だけは、しっかり聞き取れた。
「小池ディレクターは今期最高視聴率を取ったということで、AD降格は免れた」

 猛暑という言葉がニュースで聞かれなくなった9月の終わり。ズバ解の本番前、打ち合わせの会議室に入ると、小池さんが長机に台本を並べていた。
 AD降格は免れたものの2%取ると大見得を切った手前、雑用係を買って出たという。数日前、泉さんに教えてもらった。
 小池さんが、台本の横にお茶の入った紙コップを置きながら話しかけてきた。
「きょうの会議で、なんか発表があるみたいだぞ」
 まさか週刊誌の件? 冷や汗が出てくる。
 不安になったその直後、小池さんの話を聞いてひとまず安心した。
「なんでもレギュラー陣が入れ替わるらしい。あ、正樹と夢叶ちゃんはそのままっぽいぞ」
 その発表は度肝を抜くものだった。
 会議室にスタッフと出演者が揃ったところで、プロデューサーが開口一番、言い放った。
「皆様にお伝えすることがあります。きょうの収録を最後にミカ姐さんが降板します。理由は本人の口から」
 プロデューサーは、それほど深刻な顔をしていない。諍いやトラブルがあったわけではなさそうだ。
 挨拶を促されたミカ姐が、パイプ椅子からゆっくり立ち上がった。
「私事で恐縮ですが、いま妊娠6か月でして」
「えぇーー」会議室がどよめいた。ほどなく拍手が沸き起こる。
 ミカ姐がお腹の前で手を揃え、恥ずかしそうに頭を下げる。姉御肌のイメージは影を潜め、その姿にはどこかしおらしさが覗いていた。
「高齢出産になるので、無理をしないように主人にも言われまして。あ、お腹の子供の父親とは、先日婚姻届けを提出しました」
 さっきより大きな拍手が鳴り響いた。
「お相手は?」スタッフの質問にミカ姐が頬を赤らめる。
「3年前に別れた旦那です」
 会議室にいる全員の顔が硬直したのがわかった。夢叶ちゃんなんて、拍手していた手が開いた状態で止まっていたほど。
「息子の成長を見せるため三人で会ってるうちに、向こうがやり直そうと言ってきて。何度も話し合って決めました。もちろん、息子ともよーく話をしました。息子も、これからはいつでも一緒にサッカーができるって喜んでます」
 ミカ姐には小1の男の子がいる。
「だから、三人が納得したうえでの結婚、というか再婚です。同じ失敗をしないように、今度は二人で誓約書を作りました。絶対に離婚しないと。因みに婚約指輪は、捨てられずにとっておいた一回目のときのやつです」
 婚約発表する女優さんのように、ミカ姐が左手の甲をみんなに見せる。そこに一回目の結婚のときにもらったという指輪が輝いていた。
 そこからは即席の結婚会見が始まった。スタッフの質問が矢のように飛んでいく。
「予定日は?」「春」
「二度目のプロポーズは?」「内緒です」
「仕事は?」「育児が落ち着いたら復帰します」
 プロデューサーが腕時計にチラリと目をやり、かしわ手を二つ打った。
「はい、時間もあまりないので質疑応答はこのへんで。それとミカ姐さんの降板に伴い、もうひとつお知らせです。ミカ姐さんのポジションには、夏のスペシャルに出演してもらったミライさんに入ってもらいます。次回の収録からです」
 うそっ!? ミライさんがレギュラーメンバーって、ウルトラCのキャスティングじゃん!
 ミカ姐には申し訳ないけど、ミライさんの加入は番組にとって追い風になる。
 この展開、佑次の言った通りになってない? もしかしたらあいつは、中学1年にして番組作りのセンスがあるのかもしれない。中1の僕が出演する側にいるのだから、同い年の人間が作る側にいてもおかしくない。放送作家にでもなればいい。
 2本撮りの収録のあと、近くの鍋料理屋でミカ姐の送別会が開かれた。
 近ごろはテレビ業界も不景気で、歓送迎会、打ち上げ、新年会、忘年会の類を自粛している。考えてみたら、こうやってズバ解スタッフで集まるのも初めてかもしれない。
 見渡せば、ほとんどのスタッフが参加していた。30人はいるだろうか。 ふだん集まる機会がないぶん、番組関係者が一堂に会するこういう席は、案外貴重かもしれない。
 1時間ほどたつと、各所で席替えタイムとなった。
 気づいたら僕は、夢叶ちゃんとミカ姐とでテーブルを囲んでいた。オレンジジュースを手にした夢叶ちゃんが、ちょっと寂しそうにミカ姐の門出を祝福する。
「ミカ姐、お疲れさまでした。それと、改めておめでとうございます」
 夢叶ちゃんとミカ姐がグラスをカチンとあわせた。
 タイミングを見計らい、僕もグラスを掲げる。
「ミカ姐、おめでとうございます。かなりビックリしたけど」
「二人ともありがとう。一緒にやってきて一年半かぁ、早かったね。私さ、ワイドショーのコメンテーターとか、いろいろやらせてもらったけど、この番組が一番好きだったんだ。ホントだからね。相談に対して、たまに二人がすごく困った顔する瞬間があって、あの顔がピュアっぽさ全開で大好き。中学生って感じで」
 妊娠中のためお酒を控えているミカ姐が、ウーロン茶を持つ反対の手で僕らの頭を軽くポンポンやってきた。我が子を見るように目を細めている。
 ミカ姐の視線の先で、夢叶ちゃんは複雑な表情をしていた。その表情のまま、夢叶ちゃんが質問を投げかける。
「ちょっと聞いていいですか。一度離婚した旦那さんと、どんなふうにヨリを戻したんですか。離婚したのにまた結婚するって、ゴメンナサイ、あんまり理解できなくて」
「そんなの当たり前よ。私もなんで再婚相手が元亭主になったのか、未だにわからないんだから。でもね、お互い心のどこかに残ってたのよ、相手のことが。残像みたいにね。それが重なり合ったって感じかな」
 聞きながら夢叶ちゃんが首を傾げる。
「ごめんごめん。中学生には、まだ難しいよね。一言でいうと、どっちも心のどこかで相手を必要としてたってこと。これは夢叶ちゃんの両親も同じじゃないかな」
 そこまで言って、ミカ姐が「あっ……」という顔になった。
 すかさず、夢叶ちゃんが口を開く。
「大丈夫です。うちの事情、正樹君は知ってるんで」
「じゃあいいわね」とミカ姐が話を続ける。ミカ姐も、夢叶ちゃんチの事情を知っているらしい。
「夢叶ちゃんのお父さんもお母さんも、たぶんだけど離婚なんかしたくないはず。でも夫婦にはね、それまで相手を信頼してきたぶん、ちょっとしたことで疑心暗鬼になるってことがあるの。居るはずのない鬼が見えるだけならいいけど、夫婦の場合は、頭にきて自分が鬼になっちゃうんだな」
「だとすると、ウチはパパが鬼になっちゃったんだ」
 夢叶ちゃんの呟く声はすごく小さかったのに、しかし騒がしい店内にあって、とてもクリアに聞こえた。
 ミカ姐が両手で夢叶ちゃんの手を包み込んだ。
「悩んだらいつでも連絡よこしなね。メールでもLINEでも構わない。ひとりで悩んでも、ひとっつもいいことなんてないから」
 手を握られた夢叶ちゃんは、ミカ姐の膝のあたりを見ながらこくりと頷いた。
 二人から視線を外し、何気なく隣のテーブルに目をやると、小池さんとトモちゃんが向かい合って話していた。お酒で顔を赤らめた小池さんが、身振り手振りで喋っている。耳を澄ますと、会話のしっぽが聞き取れた。
「変化を求めるなら高木さんが自分で頑張らなきゃ」強い口調で言った小池さんが、思い出したように「ダメですよ」と一言つけたし敬語にした。
 トモちゃんは今にも泣きだしそうな顔をしている。
 小池さんは、ジョッキを掴んで独り言のように続けた。
「ディレクターになってから、僕だっていっぱいいっぱいなんです。夏のスペシャルも納得のいくものができたと思ったわりには、それほど数字もこなくて」
 そこから先は声が小さくなって聞き取れなかった。
 二人から目を逸らし、出演者やスタッフを見回しながら僕は思った。
 この中に、悩みがない人なんているのだろうか。
 おそらく、ひとりひとり、何かしら悩みと向き合っているはず。
 人生の壁は、僕の前に立ちはだかる13歳の壁だけではない。
 夢叶ちゃんには、両親の離婚危機という壁がある。
 小池さんには、一人前のディレクターになるための壁がある。
 トモちゃんには、アナウンサーとしての壁がある。
 みんな、それぞれの壁を乗り越えようとしているのだ。

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