見出し画像

13歳の壁を乗り越えろ 第5話

【第5話】

 ズバ解スペシャルの放送を3日後に控えた、夏休み最後の水曜日。
 スペシャル企画の正式タイトルは『ズバ解夏休み緊急スペシャル。僕の悩み私の悩み、それでもみんな前を向く』に決まった。
 編集作業とナレーションの収録が無事終わったと、きのう小池さんからLINEが届いたばかりだ。少女漫画のように瞳をキラキラさせたウサギのスタンプ付きだった。小池さんなりに手応えがあったのだろう。
 初めてのロケに加え、放送時間も拡大されて、いつもの2倍の60分。仕上がり具合が気になって仕方ない。今からオンエアが楽しみだ。
 昼下がり、自宅のリビングで夏休みの宿題と格闘しているときだった。花林社長から電話がかかってきた。
「正樹、今どこにいる」
 切羽詰まった感じが、第一声から読み取れた。
「家にいます。夏休みの宿題やってたところです」
「わかった。それじゃ、これからお前んチ行くから待っててくれ。30分くらいで着くと思う。泉も向かってる。それから、明日と明後日はどこにも出かけないように。友達との約束があったら、悪いけど断ってくれ。もしかしたらズバ解の撮影が入るかもしれない」
 一方的に社長が喋り終えたあと、電話はプツッと切れた。
 ただならぬ予感がする。
 宿題の山を自分の部屋に持っていき、ルーフバルコニーで洗濯物を干していた母さんに社長が来ることを告げた。
「なんで急に来ることになったのかしら」
 それは、こっちが知りたい。
「お兄ちゃん、昔からそうなのよね。思ったら体がすぐに動いちゃうタイプ。あの図体でフットワークだけはいいのよ」
 物干しハンガーに最後の靴下をとめたあと、母さんはリビングに降りて掃除を始めた。
 5分ほどして泉さんが到着した。泉さんも、呼ばれた理由はわからないという。
「おばさん久しぶりです。なんか急にスミマセン、社長が急ぎだっていうから」
「あら、泉君スーツが似合うようになったわね。彼女できた?」
「できないですよ。いい人いたらお願いします。若い頃のおばさんみたいな綺麗な人」
「あら、泉君たら。若い頃のは余計だけど」
 事務所にとって緊急事態かもしれないというのに、久しぶりに顔を合わせた二人の会話は弾んでいた。
 とりとめのない親戚同士のやりとりに、僕は仕事の話を持ち出し割って入った。
「泉さん、社長が明日と明後日もしかしたら仕事が入るかもって言ってましたけど、どういうことなんですか」
「俺も何も聞いてない。とにかく正樹の家に集合って。それだけ」
 少しして社長がやってきた。
「まずいぞ、まずいぞ」と呪文のように唱えながらリビングに入ってくると、真っ先に僕に尋ねた。
「この前の不良更生施設のロケで、お前取材相手の少年になんか言ったか?」
「マコト君のことですか? 別に何も言ってませんけど」
「それよりお兄ちゃん、ワイシャツが汗でびっしょり。ちょっと干してあげるから脱いでちょうだい」
 社長は「いや大丈夫」と母さんを片手で制し、ズボンの尻のポケットから4つ折りの紙を出してテーブルに広げた。雑誌記事のコピーのようだ。
 僕と母さんと泉さんが、立ったまま身を乗り出して覗き込む。
 それは、写真週刊誌のゲラだった。ゲラとは、書店に並ぶ前の準備稿のこと。
 2ページを使った見開きの上の部分に、自立支援施設の外観と僕の顔写真がコラージュされている。その横に、目を疑う見出しが躍っていた。
   『子役タレント塩田正樹に誘われた!?
    15歳の元不良が更生施設を脱走』
 母さんは、両手で口を塞いだままピクリとも動かない。
『正樹は、撮影中に腕の根性焼きの痕を羨望の眼差しで見ていた』そんな書き出しで記事は始まっていた。
 マコト君の告白を噛み砕いて説明すると、こんな感じだ。
 シャバで会おうと正樹と約束し、そのときに大好きな北斗の拳のコミックを渡すと言ったら、ものすごく喜んでくれた。しかも、友情の証として正樹とは固い握手も交わしている。だから一日も早く会いたくて、施設を抜け出した。
 ホントだけどウソだ。ウソだけどホントだ。
 どっちにしても、全部が全部作り話ではない。
 社長がテーブルのゲラをつまみ上げた。
「けさ、週刊新風から届いたファックスだ」
 週刊新風とは、近頃スクープを連発している週刊誌だ。アイドルとミュージシャンの不倫旅行や、元プロ野球選手の薬物使用をすっぱ抜き、販売数を大幅に伸ばしている。
 一方で、行き過ぎた取材や、十分な裏付けのないまま世に出した記事も多く、悪評もそれなりだった。
「明日発売の週刊新風にコレが載る。スタッフルームにも送り付けられていて、土曜のズバ解スペシャルは、不良少年のロケ部分を丸ごとカットすることになったらしい」
 泉さんが、社長からひったくるようにゲラを手にする。
「別に脱走しただけなら犯罪者ってわけじゃないし、放送できるんじゃないの? しかも、こんなふうに話題になったらみんな見るでしょ。視聴率も上がりそうだし」
 泉さんの発言を聞き、社長は首を横に振った。
「少年は夜に抜け出して警察に補導されてる。一方的な供述とはいえ、正樹に誘われたと証言している以上、ロケで接したのは事実であって、こっちに非がないとは言い切れない」
 気づいたら、手のひらに爪の痕がつくほど拳を強く握っていた。
 社長が続ける。
「もし放送してBPOに目をつけられたら、今度は本当に打ち切りになるかもしれないんだ。だから放送では、孤児院の女の子で伸ばせるところまで尺を伸ばして、それでも尺が埋まらなかった場合は、正樹と夢叶ちゃんと専門家の姐さんがVTRを見ながらコメントする。そのスタイルでいくらしい」
「コメント撮影は、やるとしたらいつですか?」
 泉さんがゲラをテーブルに戻し、鞄から手帳を取り出してパラパラ繰り始めた。
「早くて明日。最終確認の連絡がきょうの夜くることになってる」
 そこまで喋って、社長は椅子に腰を下ろした。僕らも続いて座った。
 4人ともテーブルの中央にある記事を凝視している。
 僕の気持ちを推し量るように、社長が優しく聞いてきた。
「正樹、この記事は正しいのか?」
 僕が答えるより先に、泉さんが怒りを爆発させた。
「正しいわけないでしょ! 俺ずっと現場にいたけど、そんな約束したとこなんて見てないから! そもそも正樹が」
 言葉を遮るように、ドンッとでかい音がリビングに響いた。社長がテーブルを拳で叩き、泉さんを睨んでいる。
「お前には聞いてない! 正樹に聞いてるんだ!」
 僕はありのままを伝えた。
「帰るときにマコト君から握手を求められたんです」
 言いながら声が震えてくるのがわかった。
「それで、シャバで会おうと言われて、そうだねと答えました」
「そうだね、って言っちゃったの?」
 泉さんが顔を近づけてくる。
「はい。そしたら、会ったときに北斗の拳を貸してくれるって。でも記事みたいに、ものすごく喜んではいないし、握手も友情の証だなんて……」
 悔しさが胸の中に広がっていき、知らないうちに涙が頬を伝っていた。
 隣にいた母さんが背中を撫でてくれたけど、さすってもらえばもらうほど涙が出てくる。
 とめどなく溢れる悔しさは、マコト君に向けたものなのか、記事に向けたものなのか、それとも自分自身に向けたものなのか、わからない。たぶん全部だからだ。

 社長と泉さんが事務所に戻ったあと、僕は自分の部屋に閉じこもった。3階にある僕の部屋にはクーラーがなく、夏の昼間は灼熱地獄だ。この地獄の暑さの中で、いっそ焼け死んでしまいたい。
 ベッドに突っ伏すと、悔しさと入れ替わるように、申し訳なさが胸の中に満ちてきた。ここまで育ててくれた社長、それに現場でフォローしてくれる泉さん。
 一緒に企画を立ち上げた夢叶ちゃんと小池さんに対しては、申し訳なさもひとしおだった。
 とにかく、二人に謝らなきゃ。
 スマホを手に取るとLINEの着信があった。ZCPグループに6件。
 最初のコメントは小池さんから。

   『正樹、全然気にしなくて大丈夫だから。
    マコトのコメントは、どうもウワベだけって感じが強くて
    編集に苦しんだんだよ。
    正直、養護施設のヒトミちゃんの方に
    もうちょっと尺ほしかったから逆に良かった』

 スタンプは、スキップしているウサギだった。
 そのコメントを受けるカタチで夢叶ちゃんからも。

   『小池さんに同感!
    なんかマコトって人、喋りから気持ちが伝わってこなかった。
    小池さん、編集作業大変だと思いますが頑張って下さい!
    ZCPがうまくいくよう願ってます』

 夢叶ちゃんはスタンプ無しだ。そのあとに、また小池さんのメッセージ。

   『夢叶ちゃん、どーもです。
    正樹も成功するようにお願いしといてくれよ』

 今度はクマとウサギがハイタッチしているスタンプだった。クマは僕ということか。その下に続けざまにもう一件。小池さんから、短いメッセージが入っていた。

   『誰のせいでもないからな!』

 LINEのやりとりはそこで終わっていた。
 鼻の奥がツンとなって、さっき引っ込んだはずの涙が、また出てきた。
 性別が違っても、歳が一回り以上離れていても、互いに相手を気遣える。親友とは、こういうものなのかもしれない。握手なんかしなくても、心で繋がっている関係だ。

 どれくらい時間が経っただろう。涙も落ち着いた頃に、ピロンとスマホが鳴った。
 LINEにメッセージが入った音。夢叶ちゃんからだ。ZCPのグループではなく、僕個人宛に送られてきた。
 画面にはスタンプが一個だけ。ウサギが「OKAY!」という看板を掲げている。
 それを見て、安心している自分がいた。OKAY! どんな励ましよりも勇気をもらえるような気がする。まるで魔法の言葉のようだ。
 僕はZCPのグループLINEに『ありがとうございます』とだけ送った。SORRYと呟くクマのスタンプをつけようかどうか迷ったけれど、やめておいた。
 結局、スペシャルの尺を埋めるための追加撮影はやらずに済んだ。養護施設のヒトミちゃんだけでどうにかなると、局側が判断したらしい。

 小池さんが編集の直し作業に追われていた木曜日。
 週刊新風の発売日当日、僕は初めてマスコミに追われることになった。
 コンビニに行こうと玄関を出たら、家の前で記者たちが待ち構えていたのだ。数えてみたら5人も。
「15歳の少年に、シャバで会おうと持ち掛けたんですか?」
「北斗の拳は読みましたか?」
「根性焼きはどうでした?」
 一斉にマイクを向けられ慌ててしまう。なにせ生まれて初めての体験だ。どう答えようか考えあぐねていると、記者たちを轢いてしまうのではないかというスピードで車が滑り込んできた。
 見慣れた水色のヴィッツ。運転席の泉さんが、助手席の窓を開けて記者たちに言った。
「すみませんね、これから打ち合わせなんで。正樹、遅刻しちまうから早く乗れ」
 僕は言われるがまま車に乗り込んだ。もちろん打ち合わせの予定はない。 泉さんのことをこれほど頼もしく感じたのは、初めてかもしれない。
 走る車の中で、泉さんに頭を下げる。
「ありがとうございます。それとスミマセンでした」
「謝ることなんてない。逆にこっちこそ悪かった。ごめん。あんなふうになったのは、現場にいながらケアしきれなかった俺の責任でもある。あの夜、親父にこっぴどく叱られちゃったよ」
 社長のことを親父と呼ぶときは、泉さんが素になっているときだ。
「うちらはいいけどさ、だけど一番大変なのは小池ディレクターだよな。女の子の方を20分ぐらい尺を伸ばさなきゃならないわけだから」
 撮影した素材から使えそうなシーンを抜き出し、そこからストーリーを組み立てると、使える部分はさらに限られてくる。
 尺を伸ばすとなれば、不要なシーンも入れなければならず、VTRのクオリティは明らかに下がってしまう。テンポが悪くなり、ディレクターの言葉を借りると「間延びする」のだ。小池さんは、ヒトミちゃんの尺が足りなかったからちょうどいいとLINEをくれたけど、本音でないことぐらい僕にもわかっている。
 しかし、小池さんの大変さは別のところにもあったのだ。
 泉さんがポロっとこぼした。
「編集作業より、小池ディレクターのこれからが心配だ」
「え、どういうこと?」
 渋い顔をした泉さんを、間髪入れず問い詰めた。
「小池さんのこれからって、僕のやっちゃった件と関係あるんですか?」
「まぁ、黙っててもそのうちわかることだからな」
 俺から聞いたって言うなよと前置きしたうえで、泉さんが教えてくれた。
「小池ディレクター、実は夏休みスペシャルの企画を条件付きで通してもらったんだ。プロデューサーには、スタジオ展開で考えろって言われたにも関わらず、ロケをやらせてほしいと頼み込んだらしい。絶対にコア視聴率2%取るからって」
「2%!? いくらなんでもコアで2%は、難しいっていうか、無理っていうか……」
 言葉が尻すぼみになってしまった。
 コア視聴率とは13歳から49歳までの個人視聴率。ズバ解を放送している局では、そのコア視聴率を重視している。
 ズバ解のコア視聴率は、平均して1%を少し超える程度。同じ土曜日の夕方に放送しているドラえもんは1%後半、名探偵コナンは2%半ばをとっている。
 だから、ズバ解がコアで2%取るというのは、夢のまた夢。並大抵のことではない。
「小池ディレクター、どうしても今回の企画をやりたかったんだろうな。2%いかなかったらADからやり直すって、プロデューサーに大見得きっちゃったんだ。ディレクターになって一年も経ってないのに、無茶するよな」
 全然知らなかった。やっと手にしたディレクターの肩書きを捨てる覚悟でZCPに力を注いでいたなんて。
 僕のせいだ。なぜだか、無性に小池さんのもとに駆けつけたくなった。
「泉さん、小池さんのところまで連れてってください」
「おうよ、任せとけ」
 僕がそう言うのがわかっていたかのように、泉さんはアクセルを踏み込んだ。100メートルほど先の首都高の入り口を目指し、片側3車線の道路を、左車線から右車線まで強引に車線変更してETCのゲートくぐり抜けた。

 テレビ局の近くにあるコインパーキングにヴィッツをとめて、局内の編集室に向かった。
 車を降りるとき泉さんは、後部座席にあったコージーコーナーの箱を手にとった。シュークリームだったら20個は入る大きさ。差し入れだろう。
 最初から、小池さんのところに行くつもりだったのかもしれない。先を歩く泉さんの背中に「ありがとうございます」と心の中で言って頭を下げた。
 編集フロアの入り口には、その日のスケジュールが貼り出されていた。編 集室はAからEまであり、その横に番組名、開始時刻と終了時刻が書いてある。
「ズバ解スペシャルはC編、廊下の突き当りか」
 泉さんは慣れた様子で部屋の場所を確認し、大きくCと書かれた扉の前まで進んでいく。そこで立ち止まり、ドアの中央に切られた縦長の窓から中を覗いた。
「お、やってるやってる」
 小池さんがいるのを確認して、泉さんは扉に手をかけた。音が漏れないためだろうか、扉は業務用冷蔵庫のようにぶ厚く、頑丈な作りだった。
 扉が開くと、聞き覚えのある声が耳に滑り込んできた。
「実はヒトミさん、正樹君の大ファンだそうです」トモちゃんの声だ。
 編集室の前方に設置された巨大なモニターに、はにかむヒトミちゃんが映っていた。そして、目を丸くした僕の顔に映像が切り替わる。口が半開きになっていて、だらしないことこの上ない。
「ヒャハハハハ」という泉さんの甲高い笑い声に、編集室にいた3人が同じタイミングでこっちに振り向いた。
 視線の先に、モニターの中で口を半開きにした本人がいるものだから、3人とも、これまた同じタイミングで笑い出す。恥ずかしくなって僕は視線を床に落とした。
 小池さんに会ったら真っ先に謝ろうと思っていたのに、見事にタイミングを逸してしまった。
 泉さんがコージーコーナーのお土産を掲げながら部屋の中に入っていく。
「小池さん、差し入れ持ってきたんで食べてください。徹夜続きのカラダに甘いモノでも」
「いつもスミマセン」
「いえいえ、こちらこそ、いつも同じものでスミマセン」
 いつも? ということは、泉さんは、いつもここに来ているのか。
 小池さんが、作業していた二人を紹介してくれた。
「編集オペレーターの竹田さんと、アシスタントの啓子ちゃん。ズバ解の編集は、この二人にやってもらってるんだ」
 竹田さんは口髭を蓄えているけど、まだ若そうだ。40歳手前といったところ。啓子ちゃんは20代前半に見える。
「いつもお世話になっています」と泉さんが深々と頭を下げた。腰を90度に折り曲げた、挨拶の手本のようなお辞儀だ。慌てて僕も頭を下げた。
 今度は、僕らが紹介される番だった。
「ご存知、女の子にモテモテの塩田正樹君と、マネージャーの花林さんです」
 僕らは二人に向かって、もう一度お辞儀をする。
 初めて入った編集室は、薄暗くて映画館のようだった。
「花林さん、時間あるんでしたら見てって下さいよ。面白いから」
「じゃ、お言葉に甘えて見学させてもらいます」
 隅っこのパイプ椅子に腰をおろした泉さんが、僕に小池さんの横に座るよう顎で促してきた。
 僕がソファに座ったのを確認して、小池さんが作業に戻る。テロップを入れている途中だったようで、オペレーターに細かく指示を出していく。
「『正樹君の大ファン』は、ピンクでポップな書体でお願いします」
 オペレーターの竹田さんが「あ~い」と気の抜けた返事をして、机にやたらと並んだボタンやらハンドルをいじり始める。すると、映像に貼りついていた『正樹君の大ファン』という文字がピンク色になり、ぷっくりと丸みを帯びた書体に変わった。
「すごっ!」
 思わず声をあげてしまった。
「正樹って編集見るの、もしかして初めて?」
 小池さんの問いかけにコクリと頷く。
「正樹の照れてる顔まで入れといてください」
 照れてる顔まで入れるとは、どういうことだろう。謝るタイミングを逃したこともあり、なんとなく小池さんに聞きづらい。モニターを見ながら自分で答えを見つけるしかなさそうだ。
「これで、どうですか?」
 竹田さんが映像を再生する。はにかむヒトミちゃんのカットでテロップが出て、僕の恥ずかしがっているカットの最後で、テロップがふわぁっと消えた。
 なるほど。照れている僕の顔のカットいっぱいまで、テロップを入れるという意味か。
「啓子ちゃん、大ファンの後ろにハートつけられる?」
 小池さんが声をかけると、アシスタントの啓子ちゃんが「はい」と元気よく返事をしてパソコンのキーボードを叩いた。次の瞬間、モニターに出ていた『正樹君の大ファン』というテロップの横にハートが出てきた。赤くて小さいやつがふたつ。
「へぇ」
 感心する僕に、小池さんがモニターを見たまま説明してくれた。
「啓子ちゃんがパソコンで文字を打つと、それが画面に出てくる。それを出し入れしたり、加工する作業を竹田さんがやってるってわけ」
「小池さん、確認してもらっていいですか」とオペレーターが再び映像を再生する。
『正樹君の大ファン』のテロップの横で、二つの小さな赤いハートがフワフワ浮かんでいる。文字だけより格段にいい。ヒトミちゃんの好きという気持ちが躍っているようだ。
「喋りフォローのテロップは、喋りに合わせて入れてください」
 そう指示を出した後、小池さんがやはりモニターを見ながら話しかけてきた。
「正樹が照れてるシーン気に入ってたんだけど、最初に編集したやつは尺の都合で入れられなかったんだ。ヒトミさんの顔で次のシーンにいっちゃってた。でも、こうしてお前の顔をワンカットたしてみると、たった3秒だけど印象が全然変わってくるんだよな。直すことになって良かったよ。騒ぎを起こしてくれてありがとう」
 笑いながら口にした最後の一言に、ちょっぴり救われた。
 そのおかげで自然と言葉が滑り出た。
「今回はすみませんでした。迷惑かけちゃって本当にすみませんでした」
 そうしないといけないような気がして、モニターを見たまま頭を下げた。
「それ、もういいから」
「……はい」
「てことで、俺たちの中では、今回のことはもうおしまいな」
 僕と小池さんは、モニターを真っすぐ見ながら騒動に終止符を打った。
 差し向かいより横並びで話した方が、なんだか素直になれる気がする。
 気持ちを伝えるときには相手の目をシッカリ見て話す。常識として教えられてきたことが、必ずしも正解ではないのかもしれない。
 
 テレビ局を出たところに芸能リポーターが二人いた。どうやらヴィッツのあとをつけてきて、僕を待ち伏せしていたようだ。
「話すことは何もないですから」と泉さんは両腕を広げて僕をガードしながら、その場をやり過ごした。
 車に乗り込んでお礼を言ってから、気になっていたことをたずねた。
「泉さん、いつも編集室に行ってるんですか?」
「たまにな、たまに。コージーコーナーのシュークリーム安くて旨いし」
「いつ頃から?」
「ズバ解が始まってすぐだから、去年の春か。マネージャーは作り手の現場を知ることも大事だからって社長に言われて、半ば無理やり行かされた。でも、そのとき行ってみて良かったと思ったよ」
「良かったって、何がですか?」
「あんなに手間暇かかってるなんて、それまで知らなかったからさ。さっき見ただろ? たかだか6秒のテロップ入れるのに、ハートをフワフワさせたり。その作業だけで5分もかかってた。テレビで一瞬しか映らないテロップに、あれだけの労力を費やしてるんだ。それで番組が面白くなって、自ずと出演者の魅力も引き立つ。頭が下がるってもんだろ。それで、せめてもの感謝というかなんというか。……まぁ差し入れしかできないんだけど」
 左手で頭を掻きながら、右手でハンドルを握って運転している泉さんに、改めてお礼をいう。
「知りませんでした。ありがとうございます」
 やっぱり横並びで座った方が素直になれる。
 家まで送り届けてくれた泉さんが、忠告してきた。
「明後日の放送が終わるまでは、ジッとしてたほうがいいな。明日はさすがにリポーターも押しかけてこないだろうけど、出歩いてそれをまた撮られる可能性がある。そしたら何を言われることか。非行少年に会いに行ったのか、クエスチョンマーク。なんて書かれたり」
 冗談だとわかっていたけど笑えなかった。
 ゴシップ記事を書く人間にとってクエスチョンマークほど都合の良いものはない。『?』をつけておけば何を書いても許される、どこかそんな節がある。週刊誌の記者にとって、免罪符のようなものだ。
 あのクエスチョンマークのおかげで、芸能人がどれほど辛い目にあっているか知っているのだろうか。事実、今回の記事にも『子役タレント塩田正樹に誘われた!? 15歳の元不良が更生施設を脱走』と、見出しにクエスチョンマークが躍っていた。僕を嘲笑っているかのように。
 泉さんに言われた通り、次の日もその次の日つまり放送当日も、家から一歩も出なかった。

 家にこもっていた土曜の昼。家族3人でそうめんを食べた。いつもならツルツルと喉に入っていくのに、なんだか麺をすするのも億劫だった。朝起きてから、ずっと胸が締め付けられている。
 ズバ解スペシャルのオンエアは5時間後だ。
 父さんと母さんは、週刊誌の件については一切触れてこない。きっと僕のいないところで相談して、そう決めたのだろう。
 そうめんを食べ終えて麦茶をのんでいると、父さんが聞いてきた。
「いよいよ放送だな。放送時間が2倍ってことは、面白さも2倍で、視聴率も2倍になっちゃうんじゃないか?」
 遠回しに励ましてくれているのだろう。気持ちは嬉しいけど、今の僕にとって視聴率という言葉は地雷でしかない。なにせ小池さんの進退がかかっているのだ。
 だから、返事は棘を含んだ言い方になってしまった。
「放送時間が2倍になって視聴率も2倍になるなら、どの番組だって毎週スペシャルやればいいって話じゃん。尺が2倍になるってことは、作る難しさも2倍になるってことぐらいわからないの?」
 小池さんのことを考えたら、喋りながらどんどん苛立ってきた。「ごめんごめん」と拝み手で謝ってくる父さんに、僕は容赦なくつっかかる。
「いったん完成したものを、ガチャガチャに壊して作り直すんだよ。テロップひとつ入れるのだって、すごく大変なんだから。何も知らないのに知ったようなこと言わないでよ」
 僕は怒った勢いで立ち上がり、そのまま自分の部屋に向かった。リビングの脇の階段に足をかけたとき「思春期だから仕方ないか」という父さんの声が聞こえ、余計に腹が立った。腹立ち紛れにドスドスとわざと大きな音をたてて階段をあがってやった。
 部屋でスマホを手にとった。
 週刊誌が発売されてからインターネットは一切見ていなかった。夢叶ちゃんの「見ない方がいい」という助言もあってそうしてきたけど、きょうは朝からネットを開きたい衝動に駆られている。放送前、ネット住民がどんなことを書き込んでいるのか気になってきたのだ。
 騒動の発端は自分だし、張本人として確認しておく責任がある。そんな妙な使命感も芽生えていた。
 タレントにとってネットはパンドラの箱のようなものだ。読んでから後悔するのがわかっていても、好奇心に負けて、ついつい覗いてしまう。格好良く言えば、人に見られる仕事をしている宿命だ。
 意を決してスマホでネットを開き、検索画面に『#塩田正樹』と打ち込んだ。
 検索結果の一覧が表示された瞬間、頭がクラクラしてきた。こんなに……。心が折れないように、わざと声に出して読んでいく。
「不良を更生させそこなった塩田正樹の大罪」
「塩田正樹のせいでズバ解打ち切り」
「塩田正樹芸能界追放間近」
「お騒がせ子役・塩田正樹が自分の悩みをズバッと解決」
 案の定後悔した。後悔して、今までにないほど落ち込んだ。胸の中がモヤモヤでいっぱいになっている。
 そのモヤモヤのやりどころに迷いながら、しかし手にしたスマホを見つめて、はたと思った。
 ネット記事に、こんなに心を揺さぶられたのは初めてだ。
 ZCPに必死だったからこそ沸き起こった感情かもしれない。だとすると、僕は変わり始めているのかも。
 人は辛い経験と引き換えに成長を手に入れる。そんなふうに前向きに考えたら、なんだか急にお腹がすいてきた。
 リビングにおりると、テーブルにいた父さんと母さんが驚いた顔で僕を見る。
 二人の視線を避けるように席に着いた僕は、まだ片付けられていないお椀と箸を手にとって、残っていたそうめんをすすった。
 麺を口に運びながら「さっきはゴメン」と父さんに謝ると、なぜか母さんが嬉しそうに「薬味のネギないでしょ、もう少し切るわね」と台所に向かった。
 トントントントン……ネギを切る音が、やけに心地よかった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?