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音羽屋の長女、寺島しのぶ歌舞伎座初舞台  —「文七元結物語」レビュー

 公式記録ではどうなっているのか。子役でなく主役級舞台としては、今年134年目を迎えた歌舞伎座では初めてとの前説が巷間を賑わせていた。猿之助案件対応の松竹の一手かと思われる。今月の「錦秋十月大歌舞伎」に音羽屋の長女寺島しのぶが出ている。自分の小学校入学前からの歌舞伎座見物の約60年を振り返っても名のある女優の歌舞伎座狂言での役つきは記憶がない。これを見逃すわけにはいかないだろう。十月演目『文七元結物語』目当てで、中日の15日日曜日に木挽町に足を運んだ。
 周知の通り、演題の原作は圓朝落語の傑作人情噺。明治期からすでに歌舞伎狂言として繰り返し上演されている。寺島しのぶの父君、当代の七代目も十八番(おはこ)の芝居だが、そもそもは明治期の名人五代目が脚色台本で舞台に上がり評判をとったとされる音羽屋ゆかりの狂言である。現行版で忘れがたいのは十八世勘三郎が山田洋次監督に補綴を懇願したと伝えられている舞台で、シネマ歌舞伎として中村屋自身の熱演を偲ぶことができる。寺島しのぶを起用するにあたり山田洋次自らが、やはり初めて歌舞伎座で演出するという賑やかしも添えられ、長兵衛には萬屋獅童が当てられた。一家を救う鼈甲問屋近江屋卯兵衛に、今をときめく坂東彌十郎を配する大サービス。博打で身を崩した亭主の苦労をひきうけるカミさん役は落語本体ではあまりに小さく、これをどう色付けしてあるのか。歌舞伎好きが興味をそそられないはずがない。
 しかし、いくら当て役で場面、台詞をふやしたとしても長兵衛のカミさん役では情味たっぷりとはなりようがなかったか。本体を希釈しているから勘三郎のように獅童の一人舞台にもなりきれない。物語の苦難を救うもう一人である角海老(落語では佐野槌)の女将に扮した松島屋孝太郎が体現する大店を切り盛りする気風の良さが目立つばかり。結局、寺島しのぶは、歌舞伎座の伝統に風穴を空けたに留まるだけとなった印象で、誠にもったいない。同じ落語なら「芝浜」のおカミさんの方が芸達者ぶりを発揮できたのではないだろうか。
 それでも、このたびの配役の意味は大きい。多様性が世の基軸となる中、寺島しのぶの奮闘が歌舞伎の伝統に変容をもたらす契機になるかも知れない。それを望まぬ歌舞伎好事家はきっと多いだろう。誰でもとはいかないことも承知。最有力候補は高麗屋の二女松たか子である。
 しかしながら十二月の演目案内を見ると、獅童が引き継ぐ(らしい)スーパー歌舞伎の演者に「初音ミク」とあり、ご両人で宙吊り相勤め候、とあった。バーチャルな存在といえども女性である(、、、ですよね)。女方ではなく寺島しのぶに引き続いての女性の歌舞伎座舞台である。個人的には積極的に席を抑えたいとは思わないが(ごめんなさい、こう書いていてコンサバなもんですから)、新たな歌舞伎ファンの開拓にはなるかも知れない。新作歌舞伎のナウシカすら観ずに(これも、ごめんなさい)あれこれ言うなとお叱りを頂戴しそうだが、時代の趨勢に棹さすつもりはない。歌舞伎が、歌舞伎座が永く継承され、保持されることは切実に望んでいる。この先もし芝居看板に松たか子の名が並ぶ日があれば万難を廃して木挽町行きを実行します。

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