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鎌倉殿通信-note版-

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#鎌倉幕府

鎌倉殿通信、はじめます!

こんにちは。鎌倉歴史文化交流館・学芸員の大澤です。 いよいよ来年の1月から、北条義時を主人公とする大河ドラマ「鎌倉殿の13人」がスタートしますね! 当館の職員は、今にも「もぉ~い~くつ寝ると、鎌倉殿の13人~♪」と歌いだしそうな勢いです。 一方で、   ん!?    北条義時って誰?    鎌倉時代ってよくわからないな そんな方々も多いのではないでしょうか。そんな皆様の疑問にお答えすべく、交流館では、広報かまくら8月1日号から「鎌倉殿通信」の連載をスタート! 鎌倉幕府草

【鎌倉殿通信・第12回】鎌倉幕府と高野山

皆さんは、鎌倉幕府と高野山には密接なつながりがあることをご存知でしょうか。今回は、北条政子や安達景盛がつないだ鎌倉と高野山の結びつきをご紹介します。 建保七年(1219)正月27日、鶴岡八幡宮で3代将軍・源実朝が甥の公暁に殺されました。実朝の死の影響は大きく、4代将軍の選出や後鳥羽院と幕府の関係悪化をもたらします。混乱の中、尼将軍・政子と補佐役の義時姉弟は、実朝死後の混乱する幕府をまとめ、承久の乱にも勝利しました。 その一方で進められたのが、実朝の菩提供養です。暗殺の翌日

【鎌倉殿通信・第5回】頼朝以前 ー源頼朝はなぜ鎌倉を選んだか

もし皆さんが鎌倉の歴史の説明を求められたら、どの時代からお話をしますか?多くの方は源頼朝が挙兵し、鎌倉に幕府を開いたところからはじめるのではないかと思います。 では、頼朝以前の鎌倉はどのようなところだったのでしょうか。 第5回の鎌倉殿通信では、少し時代を遡って、頼朝挙兵以前の鎌倉の歴史を紐解くことで、頼朝が鎌倉を選んだ理由を考えてみたいと思います。 古くは、鎌倉幕府の公式の歴史書『吾妻鏡』に、次のように記されています。 「所素辺鄙、而海人野叟之外、卜居之類少之、」 ー