【鎌倉殿通信・第12回】鎌倉幕府と高野山
皆さんは、鎌倉幕府と高野山には密接なつながりがあることをご存知でしょうか。今回は、北条政子や安達景盛がつないだ鎌倉と高野山の結びつきをご紹介します。
建保七年(1219)正月27日、鶴岡八幡宮で3代将軍・源実朝が甥の公暁に殺されました。実朝の死の影響は大きく、4代将軍の選出や後鳥羽院と幕府の関係悪化をもたらします。混乱の中、尼将軍・政子と補佐役の義時姉弟は、実朝死後の混乱する幕府をまとめ、承久の乱にも勝利しました。
その一方で進められたのが、実朝の菩提供養です。暗殺の翌日