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「サッカー選手でありたい」の根源

所属カテゴリーがひとつ落ちた。

 かなり精神にきた。俺の中の負のエネルギーが出口を見失った。
自分がキャプテンを務めるチームからの放出。何よりも自分の力不足を痛感した。無力さを恨んだ。

 すべて自己責任。自己評価などなく、結果で示すことが求められる世界。それが競技スポーツとしてのサッカーだ。

 大ダメージを食らったわけだが、意外にも2日後には完全に気持ちを切り替え、サッカーに熱中できていた。どれだけ落ちても跳ね返ってくるメンタリティは、この4年間で手に入れた宝だと改めて認識した。良い意味で「挫折慣れ」している自分に気づいた。

 ひとつ、今回の出来事を通して何度も自問したことがある。


―― なぜ、サッカー「選手」を続けるのか。――

俺は何のために選手を続けているのか。なぜ選手でありたいのか。この先、自分がサッカー選手であることで誰を幸せにできるのだろうか。

俺の将来の夢は、指導者として日本のW杯優勝に貢献することだ。
この夢を叶えるために、果たして今置かれているこの環境で、サッカー「選手」である必要はあるのだろうか。

 最近、指導者として現場に立たせてもらう機会が増えた。メニューを作成し、オーガナイズを作り、トレーニングをマネジメントし、コーチングをするという一連を通して、自分の指導者としての力量の無さを痛感している。やはり、単純な座学で身につけられる知識など、グラウンドではほとんど意味を持たない。実践とフィードバックを通して成長することの重要性を感じた。

 「指導者やりたいなら、選手活動を引退して指導に専念した方がよいのでは?」

 自分の中で浮かび始めた疑問。
 この想いに一気に拍車がかかった。

 選手としての自分は、日々壁にぶち当たり、無力さを痛感し、他人との比較に苦しんでいる。これまでのサッカー人生、歳を重ねるごとにプロサッカー選手という目標からは遠ざかっているように思う。

一方、指導者としての自分には伸び代を感じている。自分のチームを持ったことがないので、まだ能力を把握しきれていないのかもしれないが、確かな希望を持っている。簡単な世界ではないことは重々承知だが、やれそうな気がするし、やりたいと思える。

俺はどうなりたいんだ、

葛藤の中、ふと、スペインでの記憶を掘り返した。

 3月末に、スペイン・バスクへ短期研修に行った。
練習参加、試合観戦、異文化交流など様々な活動をした。プログラム全体の割合でいくと、試合観戦と練習見学が圧倒的に多く、相対的に見ると実際にプレーする時間は短かった。
ラリーガを2試合、その他各カテゴリーの試合を10試合以上は観た。育成年代の練習見学もほぼ毎日行った。
食事や街並み、人との交流を通して文化の違いを感じた。自分の価値観を変容させる経験だった。

ただ、俺の中で最も深く刻まれているのは、ピッチ上での景色だった。

多種多様な刺激が転がっていた中で、それでも選手としての経験がピックアップされるほど、俺は「プレイヤー脳」だった。

俺は、サッカー選手でありたい。
許されることなら、選手としてピッチに立ち続けていたい。

でも、何のために?

俺が選手として4軍で活動することは、筑波大学蹴球部のためになるのか。
プロでもない俺が卒業後も選手であることの社会的な価値はあるのか。
指導者の夢を追いかけるために、選手である必要はあるのか。
一体、俺は誰のためにピッチを駆け回るのか。

ん?

サッカーって、誰かのためにやるものなのか?

いや、違うだろ。

純粋に「サッカーをしたい」と思う核の部分は、自分の中にあるべきものなんじゃないのか。

完全に見失っていた。組織のため、家族のため、仲間のためと、すべての原動力を自分以外に依存していたことに気が付いた。

俺の中で、「誰かのために努力すること」が美化されすぎていた。

やれそうだからやるのか。やれなさそうだからやらないのか。

下手くそはサッカーやる意味ないのか。

違う。そんなことはない。
「やりたいからやる」それに尽きる。

サッカーをすることに意味付けなんて必要ないんだ。

今後も俺がサッカー選手でありたいと思える根源は一体なんなのか。

―― 『自分史上最高』の追求 ――

こんな言葉がぴったりだろう。

誰かのためではない。自分のために時間とエネルギーを費やしたい。
鎌田航史という人間の最大値を引き出す旅はまだまだ終わらない。

いや、終われない。

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