小説「十二時」 最終章「Continue」


僕は起きた。
まず、円盤型のモノが中で上下している柱が目に入った。
「やぁ。正悟。お目覚めかい?」
体を起こした。
ここは、アープさんの研究室だ。
僕は、長いソファの上に寝かされていた。
バーデリーさんは椅子に座ったまま寝ていて、
ジルドさんは甲羅の中に入っていた。
No.227とトースターは、全身真っ黒になっていて、あちこちから銅線が飛び出している。
「ひあそび…は…キ…キケン…」
と、No.227はつぶやいた。
「こいつらには無茶をさせ過ぎた。しばらく休暇をとってもらうんだ。」
「…あ、みんなは、人間に戻ったんですか?」
「いや、まだだ。これからそうするところなんだ。
しかし、おかしいな。カプセルが散布機と融合しない。」
「どういう事なんですか?」
「要するに、このカプセルの中身を取り出せないってことだ。」
「ええ!?ここまで頑張って取って来たのに…」
「なぁ、正悟。彼の城で何か変な物を見なかったか?
変な物じゃなくてもいい。何か、見過ごしたものを。」
「え、ええ?」
「いいか、君の潜在意識の中に潜む、小さな謎を…記憶の片隅に残る、小さな疑問を…
思い出せないか?」
「…あ、そういえば、お城の地下通路に何かの部屋がありました。
中は見ていませんが…」
「それだッ!」
というアープさんの声で、ジルドさんとバーデリーさんが起きた。
「ふがふが…いたた、昨日は飲み過ぎたわい。」
「ん…もう朝なの?」
アープさんはカプセルを横に抱えた。
「さぁ、行こう。」
と、アープさんは僕の背中を押した。
「待って!」
と、バーデリーさんが言った。
「どこに行くか知らないけど、私もついていくわ。」
そして、よろよろと立ち上がった。
「わ…ワシも…」
「君たちはゆっくり休んだほうが良い。
僕の予想だと、かなり危険だ。」
「…ええ。分かったわ。気を付けていくのよ…正悟。」
「やれやれ、僕の心配もして欲しいものだな。じゃ、行こう。」
僕は二人に手を振って、僕達は青い扉の外に出た。
しばらく赤いレンガの壁の裏路地を歩いた後、アープさんが言った。
「昨日の祭りの最中に見つけたんだ。別の…」
アープさんは壁の赤レンガをひとつ、奥へ押し込んだ。
「…入り口をね。」
そうすると、周りのレンガも一緒に奥へ入っていき、あっという間に地下への階段が現れた。
「さぁ、行こう。」
アープさんは紫のランプを照らした。
道は直線で、奥に階段が見えた。
「あれが城へ続く階段だな。問題の部屋は、その奥?」
「はい。そうです。」
僕達は曲がりくねった一本道を進み、二つの扉が向い合せにある部屋についた。
「…ふむ。まず、こっちの部屋に入ってみよう。」
アープさんは左側の部屋に入った。
中には部屋を覆うような大きな機械があり、太いコードがツタの様に床や壁を這っている。
大きな機械には赤いボタンが一つついており、それ以外はなんの操作盤も無い。
「ふむ…面白い。」
アープさんは銀縁の丸眼鏡を取り出した。
「これは…原子合成装置だ。それに…時間還元装置がつながっている。」
「な、なんですかそれ?」
「原子合成装置は、原子を合成し、新しい物を生み出すんだ。この装置は、生き物専用らしい。ここに二つのコードがあるだろ?これを材料に接続するのさ。コイツに接続されているのは、時間還元装置だ。一言でいえば、一方通行のタイムマシンさ。しかし、これは未完成だ。時間を巻き戻せば、恐らく何かしらの痕跡が残ってしまう。」
「な、何故こんなものがここに?」
「分からない…と、答えておこう。」
アープさんは僕を見た。
僕の目を見た。
「隣の部屋へ行こう。」

隣の扉を開けた。
そこには大きな黄金色の壁がそびえ立っていた。
周りは綺麗に真っ直ぐな壁なのに、正面の部分だけ少しへこんでいる。
「なんと!!!」
アープさんはその壁に飛びついた。
「この壁は…珍しい。実に珍しい。本でしか読んだことが無かった。
まさか存在するとは…」
「何なのですか?それは。」
「ヒューマニチウムだ。この金属は人間の細胞に反応して形を変えるんだ。
他の細胞に触れても変化をしない。しかも、時間の影響を受けないんだ。
まさに鉄壁だ。しかし、一体何故これが…」
「私よ。」
驚いて僕もアープさんも振り返った。
部屋の入り口には、あのバーデリーさんが立っていた。
「私は、その中にいるの。」
「何を言ってるんだ!?君はそこにいるじゃないか!」
と、僕は言った。
「私はただのホログラムよ。この映像は、彼女の脳データをもとにAIが作り出したものよ。」
アープさんはバーデリーさんに近寄った。
そして、銀縁の眼鏡をかけた。
「確かにそうだ…何故気が付かなかったんだ!」
「電力が足りている内は実態が保てたけど、今はもう電力が尽き掛けているわ。」
アープさんは彼女に触ろうとしたが、すり抜けてしまった。
「バーデリーさん…どういうことなんだ!?」
「私を助けてほしいの。私はその壁の奥にいるわ。」
「でも、この壁をどうすれば…」
「時間がないわ。もう私は消えてしまう。あなたならきっと分かるはずよ。正悟。
あなたはとても勇敢で、素晴らしい人間よ。私は、あなたがきっと助けてくれると信じているわ。」
声にノイズが入りだした。
バーデリーさんの体がだんだん薄くなっていく。
「私はあなたを信じているわ。私はあなたを…」
ノイズが激しくなり、これ以上は聞き取れなかった。
そして、バーデリーさんのホログラムは消えた。
「なんてことだ…」
アープさんは目を見開き、眉間にしわを寄せたまま立ち尽くした。
「この壁の向こうに…」
と、僕が壁に触った瞬間、大きなブザーが鳴った。
「人間を探知。人間を探知。消去します。」
という放送と共に、扉が勢いよく閉まった。
「そうか!ヒューマニチウム合金は人間の細胞に反応すると電気が流れるのか!」
アープさんはドアノブをひねった。
「開かないッ!この強情な扉めッ!」
アープさんは扉を蹴った。
ブザーが鳴り終わると、壁が開き、中から人の形をした銀色のロボットが入ってきた。
「なにッ!?…このロボットは…ッ!」
ロボットの手から、電気が流れているらしい。
バチバチと青い火花を立てている。
急にアープさんは慌てるのをやめた。
そして、僕のほうを見た。
「すまない…正悟。このような結果になってしまって。」
「え?」
僕はアープさんを見た。
「本当に済まない。心から謝るよ…このテレポート装置は一人用なんだ…」
アープさんは腕についている腕時計のような機械に触った。
途端に、青色の光と共にアープさんの姿が消えた。
この部屋には、もう僕と銀色のロボットしかいない。
ロボットは僕の方を見ると、ゆっくりと近付いてきた。
青い火花が飛び散る腕を向けながら。
「そうか…そうだったのか。」
僕は言った。
「お前のその銀色の顔・・・見覚えがあるぞ!」
僕は黄金色の壁に向き直った。
「バーデリーさん…僕が助けてやるッ!」
僕は拳を握りしめた。
僕は壁に向って一発、思いっきり拳をぶつけた。ボンと鈍い音が鳴る。
「あああああッッ!!痛い痛い痛い!!!」
ロボットのガチャンガチャンと言う足音が近づいてくる。
死が、近づいてくる。
「塵も積もれば山になるっていうけどさ!」
もう一度拳を握りしめ、壁を殴った。
「ああぐぅぅぅッ!痛い…、塵ってのは、簡単に風で吹き飛ぶし、努力をしても無駄になるときもある!」
壁を殴った。少しへこんだ様な気がした。
「でも…でもね!一見無駄になったと思うようなことになっても、
違う!どこかで絶対その努力は「自分」を形作るパーツになるんだ!」
もう一撃殴るには時間がなかった。
ロボットは、僕の肩を掴んだ。
「ああああああああぁぁぁぁッッ!!!!」
視界が真っ白になった。
そして暗闇に包まれた。
あたりが暗い。
とても暗い。
すごく暗い。
何も見えない。
自分が目を開いているか、閉じているのか分からない。
そして、僕は目を覚ました。
心臓が変な動きをしている。
授業で習った。確か、細動って奴だ。
自分の手を見た。
皮が裂け、血が流れている。
痛みは感じない。電流のせいかな。
やるべきことは分かっている。
僕の体、もってくれよ。
隣の部屋へ…
もう、この部屋の扉は開いていた。

僕は体を引きずり、半分転がるように隣の部屋に入った。
「原子合成装置…そして、時間還元装置…ハハ、簡単だ。」
僕は、二本のコードを頭に取り付けた。
「新しい僕が生まれ…、時間をさかのぼる…」
赤い大きなボタンを押した。
「体が…焼けていく…」
僕は死ぬ。
「バー…デ…」
そして、僕が生まれる。


まただ。
また始まった。
何度も、何度も、繰り返される。
扉の向こう側で。
激しい怒鳴り声と叫び声。
無意味と分かっていても相手を非難し続ける声。
お父さんとお母さんは、また喧嘩を始めた。
大したことでもないのに。
二人は何で喧嘩するの?
僕は外に出た。緊張に身を震わせながら。
コンビニでおにぎりとお茶を買った。
僕は夜道を散歩した。
そして、古い二階建ての家を見つけた。
庭に置いてある棚にかけられた時計は二時二十八分で止まっている。
僕は家の中に入り、そして落ちた。

宿屋の主人、ジルドさん。
彼は僕を見て、酷く驚いた。
そしてトカゲの女王に会う。
「グググ…ニングェン!ジュウジュウシイズォ!クティノキキカタウォカンガエロ!
ダイ228ダイメノジョウオウ、フリダードサマのゴゼンゾ!」
と、兵士が言った。
そして、牢屋の中で声を聞いた。「私って本当に、最低な鳥ね…」
バードスさんが助けに来た。
そして三つ目のつり橋の途中、バードスさんは僕を助けるため、自殺した。
ライオネル城塞都市につき、No.228に会った。
僕達はカプセルを奪い、夜空を舞った。
そして市はお祭り騒ぎに。
次の日。あの機械を見つける。
「原子合成装置は、原子を合成し、新しい物を生み出すんだ。コイツに接続されているのは、時間還元装置だ。一言でいえば、一方通行のタイムマシンさ。しかし、これは未完成だ。時間を巻き戻せば、恐らく何かしらの痕跡が残ってしまう。」
隣の部屋でバーデリーさんの「真実」を知る。
「一見無駄になったと思うようなことになっても、
違う!どこかで絶対その努力は「自分」を形作るパーツになるんだ!」
そうして、僕は死ぬ。そして生まれる。


まただ。
また始まった。
何度も、何度も、繰り返される。
棚の時計は三時で止まっている。
第三百代目女王、フリタードに会う。
「希望を持ってね。人間さん。」
牢屋から脱獄し、馬車に乗る。
僕の右側から陽気な声が聞こえた。
「HELLO!お目覚めかい?人間さん」
麦藁帽を被った猿が操縦席からこちらを見ていた。
門番のチーターは僕たちの方をちらっと見やった。
ゾッとするような、殺気立った目だ。
そしてNo.300と会い、カプセルを盗み、僕は壁を殴る。
「そしてその「パーツ」によって、人は成長していくんだッ!」
そして僕は死ぬ。
「バー…デリ…ィ…」
そして生まれる。

また始まった。
時計は五時三十二分。
第五百三十二代目、フリタード。
「我が名ラー・バードス!我々の未来の為、ここに命尽きたし!」
鼓膜を突き破るような爆音と、熱風が僕の背中を強く押した。
そしてNo.532。
壁を殴る。
「確かに目の前の惨状を見て、絶望し、立ち上がれなくなるかもしれない。
でもね。負けたらだめなんだッ!」
ロボットが僕の肩を掴んだ。

時計は七時十分。
壁には人一人が入れるほどの大きさにまでへこんでいる。
「負ければ、すべての時間、希望、チャンスが消え、「死んで」しまう!」

時計は九時三十分。
壁は削れ、薄くなっていく。
「だから、僕が思うに、「人」っていうのは…」

時計は十一時。
壁にひびが入り、光が差し込み始めた。
「「人」っていうのは…」

時計は、十二時になった。
渾身の一撃を壁に食わらせた。
壁全体に一気に亀裂が入った。
壁は僕の拳を中心に、崩れ始めた。
金属の粉や破片の雨が降り注いだ。
薄暗いこの部屋に、光が差した。
僕はロボットの方を振り返った。
「死んじゃいけないってことさ。」
ロボットは体の中から赤い火花を出して倒れこんだ。
僕は光の方を向いた。
1200代目の僕は、光に向って歩いた。

壁の奥の部屋には、いくつもの大きな機械があった。
部屋の右側には、筒形のガラスケースの中に、液体に漬けられて眠っている20歳くらいのこげ茶と薄い茶色のしましまの猫の女性が入っている。
ガラスケースの下の操作盤には、色とりどりのボタンが沢山付いていた。
左側には、同じような筒形のガラスケースの中にいるバーデリーさんが居た。
美しい白銀の羽根の一本一本が、下からコポコポと上がる泡に揺れていた。
この装置の操作盤には緑色のボタンが一つだけ付いている。
ちょっと怖かったけど、僕はそのボタンを押した。
ヴィィィィというブザーが数秒鳴り、プシューという空気が抜けるような音がした。
筒の中の水が抜けていった。
ドライヤーの様な音と共に、バーデリーさんの羽が風にあおられて揺れた。
体が完全に乾くと、筒のガラスケースのドアが開いた。
淡い空色の瞳が、まぶたの下から現れた。
「正悟…」
彼女はすべてを知っているかの様に、僕の名前を呼んだ。
僕達はほかに何も言わず、抱き合った。
バードスさんの手を掴んだ時感じた、毛布を触る様な感触が体全体に伝わった。
僕は誰かと抱き合ったのは、生まれて初めてだ。
まるで、この世界に僕たち二人しかいないような気持になった。
自然と涙がこぼれてきた。
頬を伝って、バーデリーさんの肩に落ちた。
僕は「愛」を感じた。
お母さんと、お父さんが、笑って、一緒に、手をつないだ。
あの「愛」を感じた。

離れると、バーデリーさんは言った。
「ありがとう。」
僕は言った。
「本当に頑張ったのは僕じゃないよ。」
「ええ。でも、あなただわ。」
「そうかな。」
「そうよ。」
「でも、僕は彼らの作ってくれた道を歩いただけの様な気がして…。」
「確かに、他のあなたは存在したわ。でも、それもあなたよ。」
「…はは。」
もう一度バーデリーさんの近くに寄りたくなった。
バーデリーさんはそれを知っているかのように、僕を白銀の翼で包んだ。
その時、廊下をものすごい勢いで走る音がした。
「誰かしら?」
「アープさんじゃないかな。」
僕の予想通り、奥の扉にカプセルを横に抱えたアープさんの姿が見えた。
「正悟君…!?」
アープさんはばらばらになった壁を見て、驚いている。
「まさか…時間還元装置…」
アープさんは僕たちの方に歩いてきた。
「正悟君…君は…僕の予想をはるかに超えた…いや、超えすぎている…」
「アープさん。」
と、僕は呼んだ。
「なんだい?」
「ちょっとこっちに来て。」
「ん?どうした?」
と、アープさんが近づいてきた。
僕は拳を握りしめた。
僕はアープさんの顔面を、思いっきり殴り飛ばした。
「ッッッ!!!?」
アープさんは吹っ飛んだ。
「1200回、僕を見捨てた代償だよ。」
「ああ…すまない。僕は…」
「いいよ。もう許した。さっさと、みんなを元に戻してよ。」
アープさんは顔を抑えながら、よろよろと立ち上がった。
「ああ。だが、その前に…」
アープさんは、もう一つの筒形ガラスケースの中にいる、猫を見た。
「彼女は…僕と一緒に旅をしていたんだ。」
「何でここに閉じ込められているの?」
「彼女は僕が閉じ込めたんだ。」
「え!?」
と、僕もバーデリーさんも驚いた。
「彼女は…ヘンゲウイルスに感染したんだ。体が猫に変わり…まだ感染していない
人間たちは…彼女を捕えようとしたんだ。僕たちは恐ろしくて、古い城の地下に隠れて、彼女が人間に捕らえられないように、この中に閉じ込めたんだ。
しかし外では、彼女の近くを通ったり、話したりした人が感染し、動物になって、僕も動物になった。だから、開けられなかったんだ。この壁をね。」
アープさんはばらばらになった壁の破片を見つめた。
「でも、私は何故ここに閉じ込められていたの?」
「それは分からない。僕達がここについた時には、既に君はここにいた。そして、ホログラムも。多分、君は初期に感染していたんじゃないかな。おそらくここで、ヘンゲウイルスについての研究がおこなわれていたんだと思う。」
「そうなの…とにかく、この猫さんを解放してあげましよ?」
「ああ。そうだな。」
と言い、アープさんは制御盤を色々と操作し、バーデリーさんと同じような事が行われた後、
ガラスケースの扉が開いた。
「…よかった。あなたがここを開いたってことは、全て終わったのね?」
「いや、まだだ。みんなを人間に戻さないと。」
猫の女性は、目を開いた。
「いいんだ。感謝の言葉は、あの人間君に言えよ。」
「ええ。人間さん。名前は?」
「正悟。」
「ありがとう。正悟。」
「それではッ!」
アープさんが、部屋の奥に行った。
部屋の奥には、円盤型の大きな機械があって、中心には小さな穴が開いている。
アープさんはいくつかボタンを操作してから、勢いよく振り返った。
そして、僕の方を見た。
「君のおかげで、この世界は救われる。だから、正悟。君がこのカプセルを入れるべきだ。」
と、アープさんはカプセルを僕に差し出した。
その時、後方から声が聞こえた。
「この世界が救われる瞬間に、ワシだけ置いてくとは何事じゃあ!」
振り返ると、ジルドさんが短い手足を振り回しながら走ってきていた。
「ぜぇ…ぜぇ…邪魔して悪いのう。ささ、人間さん、やってくだされ。」
「分かった。アープさん。入れるときの掛け声は、「アレ」で良い?」
「「アレ」か。良いぞ。」
心臓がバクバクしてきた。
体が熱くなってきた。
「それじゃあ、いくよ。せーのっ!」
僕はカプセルを振り上げた。
「ジェロニモォォォォォォォ!!!!」
カプセルを思いっきり差し込んだ。
視界が金色の光に包まれた。


目を開いた。
金色の光が消えていた。
「どうやら、成功の様だ。」
と、アープさんの声が聞こえた。
アープさんを見た。
背が高い。
顔の右側に髪の毛を寄せている。
ヨーロッパの人らしい。
茶色いスーツに、赤紫色の蝶ネクタイ。
少しやつれた顔で、顎が特徴的だ。
まるで、英国紳士みたいだ。
「ああ…すべて思い出したぞ!」
と、アープさんは手を振り回して叫んだ。
猫の女性は、やっぱりヨーロッパの人みたいで、ショートヘアーの茶髪で丸顔だ。
アープさんと何か話している。
ジルドさんは、日本人。
白いもじゃもじゃの髭と髪で、革ジャンを着ている。
「ほう…こりゃ、ワシがこんなにイケてるとは、思いもしとりゃあせんかったわ。」
そして、バーデリーさん。
真っ黒な髪の毛。
少し丸い顔。
変わらない淡い空色の瞳。
映画で見たことある、ロリータワンピースを着ている。
「私、変わった服を着ているのねぇ」
と、自分の服をまじまじと見ている・
「さて。」
と、アープさんが手をたたいた。
「外に行って皆がどうなったか、見てみようじゃないか。」


外に出ると、市の方から歓声が聞こえてきた。
ライオネル王様から逃げ出した時とは、比べ物にならない歓声だ。
市につくと、既にパーティーが始まっていた。
家や物はゲームで見たような古い物なのに、皆が着ているものが現代風なことがちょっと笑えた。
人間に戻ったみんなは、前よりも自由に歌い、踊った。
「皆が元に戻ったから、これからはきっとこの町も、この世界も、発展していくだろうな。」
と、アープさんは言った。
「さて、ワシは妻子のところに戻らねばならんなぁ。人間に戻ったあいつらが、どんな姿か見モノじゃわい。お前さんたちとは、ここでお別れじゃな。」
と、ジルドさんが言った。
僕は、ジルドさんの方を見た。
「ジルドさん。ありがとうね。長生きしてね。」
「当り前じゃろ。あと百年は生きるわ。わっはっは!」
「おじいさん。いっしょに冒険出来てよかったわ。またいつか会いましょう?」
と、バーデリーさんも言った。
「あー…爺さん。」
「なんじゃ、若造。」
「アンタ何にもしてない…いや、何でもない。アンタは素晴らしい人だ!」
「フン。まぁ、いいじゃろう。若造も元気でおれよ。」
と、笑いながらアープさんの肩をバンバンたたいた。
そのあとアープさんは肩の埃を払った。
「猫さんよ。アンタも元気でな。幸せに暮らすんじゃぞ。」
「ありがとう。あなたはきっと長生きするわ。私には分かるの。」
ジルドさんはまた、大笑いした。
そして、ジルドさんは皆と握手すると、通りかかった馬車を止めて、手を振りながら去っていった。
「さて、僕達もいかなきゃ。ね?」
と、アープさんは言った。
「正悟君。君を元の世界に返そう。」

人々の歓声は遠くなり、アープさんの研究所についた。
「正悟。君とはお別れだな。」
「ねぇ、私もついて行ってもいい?」
と、バーデリーさんが言った。
「もちろん大丈夫だよ。でも、君はこの世界にいなくてもいいの?」
「いいのよ。私を待っている人は、誰一人いないわ。」
「…分かった。一緒に行こう。」
僕はお父さんとお母さんを思い出した。
大丈夫なのかな…バーデリーさんに怖い思いをさせないようにしないと。
「改めて君に礼を言おう。ありがとう。正悟。
君のおかげで、この世界は救われたんだ。」
アープさんは少し間をおいて言った。
「それから…正悟君。もし君が、そのー…僕達と一緒に…旅をしたいなら」
「いえ」
僕はアープさんの話を切った。
「僕にはこれ以上家族に心配をかけられません。」
「そうか。そうだな。君の選択だ。うん。僕にそれを変える力も権利もない。」
猫だった女性が言った。
「二人とも。元気でね。」
「ありがとう。」
「それじゃあ行くぞ…準備は良いかい?」
「ええ。」
「うん。」
「それじゃあ…さよならッ!」
猫だった女性が手を振った。
アープさんは机に取り付けられているレバーを思いっきり引いた。
地面が無くなった。黒い大きな穴に、僕達は落ちていく。
バーデリーさんと手を取り合い、僕達は空を切って落ちていく。
今までの冒険を思い出しながら。
ずっと、下に落ちていく。
勢いを増しながら、隕石の様に、落ちていく。

地面に触れた。
細かい石が背中に触れる感触。
痛みなんて全くない。
僕は起き上がった。
バーデリーさんも起き上がった。
固く結んだ手をほどいた。
「ついたわね。」
「うん。ついた。」
空を見上げると、もうすっかり夜だ。
星の見えない空を、明るい月が照らしている。
あたりを見ると、あのボロボロの家の庭だった。
塀には手入れのされていない木鉢が並び、魚がいない緑色の水槽がさびた鉄の棚の上に
ずらりと並んでいる。
もう一つの棚には正常に動いている時計が掛けてある。
時計は今、十二時一分くらいを指している。
ほかのところには穴だらけのタイヤが突っ込んである。
表札は朽ち果てている。
ポストには、ボロボロになったチラシがこれでもかというほど詰め込まれている。
小さな畑には僕の腰くらいの雑草が生えまくり、ちぎれたホースや陶器でできた馬や小人の人形があちこちに飛散していた。
僕はもう逃げない。
「おうちに帰ろう。」
「ええ。」
僕達は歩き出した。
そして、お父さんやお母さんのことを歩きながら話した。
バーデリーさんは真剣に聞いてくれた。
僕は誰かに両親の事を話したのは初めてだ。
住宅街をぬけ、コンビニの前を通った。
コンビニの前には缶コーヒーを飲みながら、たばこを吸っているおじさんがいた。
「こんばんは」
と僕が言った。
バーデリーさんも、
「こんばんは」
と言った。
おじさんは、太い声で、
「こんばんは。こんな夜遅くにお前さんのような子供が歩いてて大丈夫か?」
「僕たちは家に帰るところなんです。ちょっと、冒険をしてて。」
「ええ。すごい冒険だったの!」
「・・・そうかい。お前さんたちのような、若い頃が懐かしいな。
気イ付けて帰りなよ。」
と、おじさんは笑った。
「はい、ありがとうございます」
「さよなら」
と、おじさんに手を振って別れた。
狭い歩道を歩き、広い道路を渡り、坂を下り、奥の坂を上り、
マンションのロビーの前まで来た。
「大丈夫。今まであなたは一人だったけど、今は私がいるわ。」
僕は小さく頷いた。
僕は、勇気を出してインターホンで部屋番号をおして、通話ボタンを押した。
お母さんの声がした。
「はい」
「お母さん、僕だよ。」
「…ええ!?外は寒いでしょう。早く入りなさい!」
と、ロビーのドアが開いた。
「…行こう。」
「頑張って。正悟。」バーデリーさんが僕の手を握った。
大丈夫。きっとうまくいくはず。
エレベーターの「3」を押して、上に上がった。
エレベーターはいつもと同じ速さで上って行った。
ついた。ドアが開いた。
エレベーターの外に出た。
扉が閉じた。
エレベーターは、一階に戻っていった。
マンションの廊下を歩いた。
ここは高い場所だから、遠くの町までよく見える。
赤や青、黄色や白の光が、あちこちについている。
夜の町は、美しい。
他の人の部屋の前を一つ一つ通りすぎるたびに、鼓動が早くなっていく。
目の前の問題から目を背けてはいけない。
いくら辛い惨状が目の前にあったとしても、もう僕は逃げ出さない。
そう。極限の状況から逃げず、トカゲに立ち向かったバードスさんの様に。
バーデリーさんが手を強く握った。
一歩ずつ、硬い床を踏みしめる。
体から汗が染みだす。
体が熱くなっていく。
体が震える。
足の裏が厚くなる。
息が荒くなる。
瞬きの回数が増える。
自分の部屋の前についた。
部屋番号を確認した。
扉の鍵は開いている。
僕はドアノブに手をかけた。
肘を曲げ、少しずつ手前に扉を開く。
少し後ろに下がる。
中から光が漏れだす。
バーデリーさんの顔を見る。
バーデリーさんが頷く。
そして前を向く。
玄関に立つお母さんとお父さんの姿が見える。
僕は顔を下に向ける。
バーデリーさんは手が痛くなるほど、僕の手を握っている。
お父さんとお母さんは優しく言った。
「おかえり。」
と。
僕は言った。
「ただいま。」
と。
僕はバーデリーさんの手を離し、お父さんとお母さんに抱き着いた。

THE END

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