見出し画像

何度も経過と理由を説明もらってもらい考えること

さて週明け月曜日がスタートしましたね。
いつもサークルのメンバーにはオフィスでの朝の写真を送ってるのですが、こちらにもちょっと前のやつを貼っておきます。

画像1


やっぱり週の初めはフルスロットルでいかないとですよね。



さて、最近色んなことが重なって、事象としては似てるなって本質の部分で思ったので書いておこうかなって人は謝るだけと途中経過をアピールすることに重きをおくが、結果が全ての世界にいないから、そんなことが言えるんだろうなって思うわけで。


まずはぼくの考え方は結果がすべてです。
前もどこかで書きましたが、前職のときのも同じようなことを言われましたが、営業マンが2人いたとしましょう。

その2人がそれぞれ日中の過ごし方として、1人は営業活動を汗流して行っていて、もう1人はのんびりと家でLINEしてるだけとしましょう。


どっちがいいのでしょう?


当然、汗流してって言われるとちょっと応援したくなるし、結果が出てほしいって思いますが、1ヶ月だった結果として、LINEしてるだけの人が良い成果をあげるってこともあるわけです。

それって、努力したから、体力を使ったから叶うってことじゃなくて、効率よく営業活動をしたほうが当然良いに決まってます。

そして効率が良かったか悪かったかは結果を見ないとわからないわけです。
ようはすべては結果から紐解くしかないと思ってます。


じゃあ、結果がうまくいかなかったとして、その過程や理由を永遠に聞いた、聞かされたとしたら、それをどう捉えるのがいいのかな?と最近考えました。


繰り返しますが、ぼくは結果で物事を評価するのは絶対です。
それはいままでもこれからも変わらないと思ってます。


ただ、その中でも過程を知らない、聞かないということもまた違うなって思ったわけです。

そしてなんなら、結果うまくいかなかったことも、すべて相手や指示をした人に原因があるのではなくて、それはぼくがダメだったと理解しようと最近はしてます。


自分の期待値が高かったのか?
自分の読みが甘かったのか?
自分の時間配分を間違ったのか?
自分が思う相手の行動原理を理解できてなかったのか?


などなど。

色々あると思いますし、複合技なときもあると思います。それがどうしてうまくいかなかったのかを理解するためにもしっかりとその理由を聞いて、その上で次の自分の行動に活かせていけばと思った、そんな考察です。


こういう考え方って1年前のぼくならしなくて「結果がすべて、あとは言い訳、聞きたくない」って言い切って終わりでしたけど、いまはその次に向かってるってかんじですかね。


ここ最近とくにそう思うことが多かったので書いておこうかなと。
やっぱり月曜日は仕事モードになりますね。


それではまた明日!



最後に。
読んで頂きありがとうございます。
そして読んだということで「スキ」「ハート」をポチってください。人間リアクションは大切です。

そしてお知らせ!
①人生相談というnoteを書きました。ちゃんと回答していきたいと思うのでぜひあれば書き込んでみてください。
②note内にサークルがあります。こちらもよければ。

良いと思ったらサポートお願いします。嬉しいので。 もちろんちゃんと返信させて頂きます。