100日哲学チャレンジ☆12日目

 就職してもうすぐ一年になる、カマイタチ兄です。今年度はコロナの影響で、就職して直ぐに職場から在宅勤務を命じられました。最初の2・3か月がそんな状態で、尚且つその後もイレギュラーな運用が続いたものですから、もうすぐ一年経つという実感がありません。来年度からもまた、今年度とは違った形での運用となり、それは例年とは違う訳ですから・・・まあ、考えても仕方ありませんね。

 休日になると、「本当に出勤しなくて良いのか」という問いが頭の何処かでいつもぐるぐる回っています。それは家族や職場からも止められている以上、意を決して休まなくてはと思うのですが、なかなか覚悟が要るものです。

 大学生までは、「ひたすらに努力せよ」と言われ、周囲の期待に応えて愛されるべく、勉強や社会活動に打ち込んできました。しかし、社会人になってからは、うってかわって「無理をしてはいけない」と言われる。特に今のイレギュラーの多い状況下では、ストレスも多いから気をつけなければ、とのこと。なかなか、就職したことや、コロナでの状況の変化に、心も体もついていくことができません。

 特に、一週間の流れ方の変化に未だに慣れません。平日の五日間は、朝から晩まで必死に頭を回転させて働くのに対して、休日の二日間は、ひたすら仕事以外のことをしたり、「完全に怠ける」ことを求められる・・・別に誰かが求めてきている訳ではありませんが、どうすべきなのか、よくわかりません。

 最近は、家族が「ミステリーチャンネル」を契約したらしく、昨日も夜は、イギリスのミステリーを見ていました。「ヴェラ~信念の女警部~」を、シーズン1から見ているのですが、あまりにも話が重く、胃もたれ気味です。僕の脳は、何もしなくても様々なことを考え、知識を求めて回転し続けていますが、逆に情報を拒絶したい欲求も、土日には顕著に表れます。全く面倒くさい脳を持ち合わせたので、休日は全自動洗濯機の中に突っ込んで放っておきたいくらいです。

 ヴェラはよく、こんな重たい事件と、数々の死体を見ても、明晰な頭脳を働かせることができるなと思いました。仕事仕事と、ひたすらに打ち込んだ先に、一体何を求めているのだろうと思います。それは若い僕だから、「何かを求めて努力する」思考にどうしてもはまってしまうだけかもしれません。デューイは、「何かの為に学ぶことをしないのが教師」だと言ったそうです。僕も教師の端くれとして、これからは「何かの為」に努力するというよりは、「知ることが楽しい」くらいに、軽く明るく毎日を過ごしたいものです。

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