100日哲学チャレンジ☆16日目

 一

 母が、急に優しくなったのは、僕の教員就職が決まった8月のことだった。
 僕の周りには、僕よりも優秀な頭脳と、真面目で純粋な心、親しみやすい人柄を持ち合わせた人たちが、たくさんいた。僕の同級のM君も、その一人というか、寧ろ学科の同輩の中でも、飛びぬけて多方面に優秀であった。彼と二人で話せば、口下手な僕でもきちんと尊重してくれたし、僕が飲み会の席などで話しづらそうにしていても、それとなく水を向けてくれる。僕は、他の同輩に対しては、正直どう接すれば良いのか、全く分からなかった。共通点が、「同じ学科にいる人間」くらいしかない。
 もともと同い年とのコミュニケーションを苦手としていたのに、大学時代の前半、僕は持ち前の不器用さを遺憾なく発揮していった。同級のMさん(女性)には、サッカーの授業の中で僕が蹴ったボールをぶつけたり、足が引っかかって転ばせてしまったりと、大学生にも関わらず赤っ恥をかき、話しづらくなってしまった。サッカーは楽しくて好きだったが、小学生6年生の頃、クラブでいじめられてやめてしまったので、なんとなく遠ざかっていた。大学生になったにも関わらず、僕は母から部活動やサークル活動に関わることを止められたので、せめて授業の中で同級生と触れ合う機会があるのだと思うと、嬉しく思われていた。そして、授業をはりきりすぎた結果、これである。
 こんなことで憂鬱になり、人間関係を気にする僕だが、ある女性Aとの出会いから、自分の考えを変え始めた(このことは、また後日書こう)。
 同輩と上手く付き合えないことへの言い訳をすれば、片田舎から、都会に引っ越してきたのが、今からほんの10年前の話で、この間で暮らしは一気に豊かになった。だから心も生活スタイルも、上昇し続けようとする自分の環境、待遇についていけなかったから。母親が小学生から耳元で怒鳴り続けた「国立大学入学」を無事に果たしたところで、僕の精神は永遠に続くと思われる「良い子ちゃん」への強要と囲い込み、その鋳型に上手く嵌ることのできない自分への嫌悪の両バサミでズタズタだった。母は、やりたいことや夢は、将来性や現実味、継続性がなければ、「夢見てんじゃねーよ。勉強しろ。才能ない領域に足突っ込んでもしょうがないだろ」というスタンスだった。今思えば「うっせえわ」と言い返し、何とでもできそうなものだが、僕には反抗心を持つ勇気も論理も、自分の個性を育て上げるだけの材料と仲間がないと思っていた(本当に足りなかったものは、「気概」なのだろう)。

 友達関係が難しいと見るや、恋愛関係を目指すことにした。
 そのとき思っていたのは。教員になってしまえば、学校の中の世界で生きることになり、相手を見つけるのが難しいし、そもそも職場関係で色々な女性と付き合うことに対して、周りの目が怖すぎること。だから、恋愛関係は学生時代で経験することもなくなってしまう、もし大学で見つからなかったら、僕は一生独身かもしれない、というくらいに思っていた。必死だった。中学も高校も、一度も恋愛が上手くいった試しはなかった。女性の方からアプローチされることが多かったにも関わらず、僕はいつも上手く対応できず、気づけばチャンスは水の泡となってばかりだった。
 其処で、兎に角様々な女性と付き合った。一晩だけの関係もあれば、数か月間、あるいはメールやSNSだけの付き合いの子もいた。振られても、自然消滅しても、塞ぎ込んでいる暇はない。快楽主義者やダダイズムに憧れて、しかし危ない橋は決して渡ろうとしない狡さを持ち合わせて、その臆病さを嘆きながらも、ひたすらに女を貪ろうとした。だが僕の紳士的なところは、寝たのは二人だけってことかな。一緒に泊まった子がもう二人いたが、体には手を出さなかった。
 ろくでもないことを、此処に記そう。大学時代後半の、欲望の儘に揺れ動いた日々に、求めていたものは二つだ。欲望から解き放たれ、自由になる為には、それを十分に知った後でなくてはならないから。そして、欲望に囚われている間は、人間の持つ感情、身体の特性、人間関係、人生観などを、俯瞰して見ることができない。よって、自分が持つ欲望や感情に流されるままの、自己満足な唯々陳腐な文章しか書けないと思ったからだ。そう考えることは、悪だと常々思っていた。だから、太宰治や坂口安吾のような、勤勉と節制を良きものとして真面目に崇めなければならないと知りながらも、心の檻の中に閉じ込めた怪物を崇めていることへの後ろめたさや罪悪感、それによって傷つく自分への嫌悪と、代わりに求め続ける愛の中で崩れていくことに、憧れていた。欲望からの解放は、信仰や忠誠など、外部からの精神への強いエンパワーメントによってもたらされると思うかもしれないが、それは欲望からの「解放」ではなく、「排除」だ。自分の気に入らないものを自分の一部として受け入れなくては、ゲドのように影が自分からするすると飛び出し、自分や周囲を脅かすようになる。夕方のニュースを見て、地球の反対側で勃発した紛争の影響が日本に住んでいる自分の身に降りかからないか心配になるのと同じで、いつ欲望が自分の身に乗り移り、支配し、虜となって傍若無人に振る舞い、今の生活や立場を脅かし、遂には一生「あの時に過ちを犯した人」としてのレッテルを貼られて生きていくことになろうかと打ち震える。僕にはそんな人生は、まっぴらごめんだっただけだ。


 だが、欲望を充足させ続けることに飽きる作戦は、直ぐに終わりを迎えた。理由は二つ。自分が思い描いていた愛を全て与えてくれる人が現れたことと、自分の知る世界が、狭すぎたことだ。大学卒業間近で、新型コロナウイルスが流行りはじめ、就職と同時に、文字通り家から身動きが取れなくなった。しかし恋人がいるという安心感から、以前のように自殺を考える程に悶え苦しむことはなくなった。まあそもそも、自分が口にしていた自殺願望は、檻の中の怪物の声が外に漏れたくらいのレベルなもので、いつも何処かそいつを俯瞰した自分がいたせいか、どんな自傷行為や自己嫌悪、極端な行動を言葉で並べてみたところで、心からどっぷり浸かることはできなかった。この「俯瞰した自分」は、10代の頃には自分にも人にも不誠実な面にしか思えず、悪だと思っていた。しかし檻の中の怪物と、「俯瞰した自分」はグルだと、あるとき気づいた。物を書きたい衝動と冷静な計算が、僕の中で存在感を増していったからだ。
 とまあ、サムセット・モームの「月と六ペンス」を呼んだので、その文体を真似してみようとしたのだが、モームのような流暢な文調で、美しく人の内面を描写することは矢張り難しい。言葉は何処までいっても言葉であり、形があるものには表現力の限界が必ずある。だがそれは、今は言葉の問題というよりも、僕の未熟さ故だ。さらに研究を重ねていきたいと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?