世界最速の教育者 ~虎狩りの日々~

 この土日、約5時間かけて、友を懐柔した。

 彼は、それまで努力を重ねて漸く大学卒業後に手に入れた、今の職場とその地位を自ら放棄し。他の、自分の掲げた「理想」とやらに最も近い理念を掲げた組織へと、移ろうと考えていた。就職して、僅か5か月、しかもうち3か月は、コロナ期間で休業し、夏の間は長期休業があったにも関わらずである。要は、まだほとんど働いていないくせに、今の職場を見限ろうとしたのだ。

 話をよく聞いてみれば、本人には「逃げる」つもりはさらさらなく、ただ他の組織ではどのような取り組み・働き方をしているのか知りたくて、説明会に参加しようとしたのだ、と言う。だが、彼の中にはありありと、「逃げ」の姿勢が見えた。また、小・中・高・大では「優等生」として扱われ、言わば人の言うことをきちんと聞くことができる人間として、ちやほやされた。大きな挫折も経験せずに来てしまったことを自分でも感じているため、自分自身の考えのみに基づいて行動する、挑戦する機会を欲しがっていた。他の職場を見るという選択・冒険が、自分の意思によってなされるということに酔いしれようとしたのだ。

 だが彼は、そもそも自分自身の弱さにも、強さにも目を向けていなかった。社会から自分がどう見られるか(=自分はどう振る舞うべきか)、あるいは自分がどうしたいか(=自分の欲求)の二極でしか行動指標を考えていないが為に、周りすら見えていなかった。彼を採用した人事や管理職は、そういった彼の性質を見抜いた上で、「自分が気に入らない仕事、自分の理想とは関係性が一見するとないような仕事でも、取り組み続けられるか」を試しているのだろうに。仕事は、組織で行うもの。社会から自分がどう見られるか、自分がどうしたいかという、言わば自分出発しかない思考法をもつ彼が、一皮むけて、自分の周りにいる人たちを大切にできるかどうかが、彼にとっての”発達課題”と上は評価したのだろう。

 僕は、彼を怒鳴りつけることにした。普段はあまり使わない手法であり、彼はそういった感情的手段に動じないことが「格好いい」、「冷静」だと思っている節があるので、効力は薄いかもしれなかった。しかし、僕は友人として、例え形だけだと言われたとしても、感情的になろうと思った。

 彼は、「意識して感情的になるというのは、感情を道具として使っているだけだ。結局は計算に基づいていて、人を思い通りに動かそうと躍起になっているだけだ」と言った。まあアドラー心理学的な考え方である。互いに教育の分野で働く人間であるだけに、思考が非常に回りくどくてめんどくさい。

 だが、教育は、人と向き合う仕事である以上、自分と向き合うことを避けていたら、伝えたい相手には何も伝わらない。自分を差し置いて、相手に対して「自分と向き合え」と、偉そうに具体性のないことを言う人間の言葉に、誰が耳を傾けるだろうか。僕は論をその一点に絞りつつ、他者を認めるために、まずは自分を認めることの必要性について喋った(4時間くらいwだって、ごちゃごちゃ彼が言い訳するから、無駄に時間が延びるんだもん)。

 彼は、「理想屋」向きじゃない、と僕は思った。独自の発想法・思考法をもっている人間、高邁な理想をもっている人間を目指そうとしている時点で、理想を持つことを自分の評価向上の道具に使っている。本物の「理想屋」は、しゃべる言葉一つ一つに魅力があって、その人自身からなんとなく「生きる希望」みたいなものが溢れていて、何故かその人の周りにはいつも人が集まり、集まった人の心が自然と一つになる。意識・無意識に関わらず、カリスマってそういうものなんじゃないかと思っている。因みに僕も、本物の「理想屋」にはなれない。僕は、理想屋と、それを具体的な言葉や形にする「手段屋」の中間くらいにいると、自分では思っている。

 彼は結局、僕の言うことに納得した。彼は心の何処かで、彼自身の「暴走」を、止めてほしいと思っていたのだと言う。だが、他の組織に行ってみたいと、例え彼の親しい人に言ったとしても、誰も彼を止めには入らなかった。そりゃあ、もう大人なんだから、自分で自分のキャリアは判断すべきでるから当たり前なのだ。にも関わらず、人に甘えてそういうことをするのは、彼の不器用さがゆえである。しかし、此処まで思考を一瞬で読んで、更に彼の為に行動しようとするバカが、一体どの世界にいるのだろうか!(あーあ。此処にいた。週刊少年ジャンプ読みすぎた…)

 自分には高邁な理想があり、人とは違う人間なんだと、だから自分のことをもっと評価してくれと、そう思うのは「山月記」の李徴だけじゃない。彼が虎になることを未然に防ぐことができたのなら。僕も「世界最速の探偵」ならぬ「世界最速の教育者」に、また一歩近づいていくことができたのかもしれない。

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