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100日哲学チャレンジ☆4日目

 こんばんは。カマイタチ兄です。本当に寒い日が続いていますね。体調が悪くなりやしないかと、常に不安な毎日ですが、仕事も勉強も、無理せずのんびりやっていきたいものです。

 コロナが流行り始めてからというもの、人間の「習慣」というものの存在感が、とても大きく感じられます。

 外に出て友人と話をしたり、飲みに行ったり、遊びに行ったりすることを、週末の楽しみとして習慣にしていた人たちは。この一年間はとても辛かっただろうなと思います。僕も、学生時代はボランティア、学生団体、旅行など、人と関わることをベースに活動をしていましたから、「新しい生活様式」への適応には、精神的に苦労しました。

 さて、チャレンジ2日目に取り上げていたブルデューの「ディスタンクシオン」にも、「習慣」が取り上げられています。今日は、人の「傾向性」「性向」を意味する、「ハビトゥス」という概念について考えていきたいと思います。因みに今回も、参考文献はこちら↓↓↓↓↓

 「ハビトゥス」と文化資本

 ハビトゥスの定義は以下になります(『』内は、全て岸(2020)から引用)。

 『ハビトゥスとは私たちの評価や行動のさまざまな傾向性のことで・・・持続性があり、異なる分野においても同じ傾向を示す。』

 つまり、ハビトゥスは、僕が最初に挙げた「習慣」という言葉とは少しニュアンスが異なるようです。英語の「habit」の語源のようですが、「毎日朝にトーストを食べる」という次元の「習慣」ではない。

 『・・・ハビトゥスは心理学的な概念ではありません。それはむしろ身体的なもので、社会的な行為のレベルで出現するものです。』

 自分的に一番分かりやすい例だと思ったのは、勉強です。小学生から高校生において、勉強ができる、できないは人生における課題の一つだと思います。受験や、同級生との点数・順位争い、成績をめぐる親や自分、友人との葛藤。しかし思うに、小学生の頃から、「机に座って勉強をする」ことを身に着けることができた子どもは、勉強ができるので周囲から認められやすく、自己肯定感も高まるでしょう(それが「良いこと」か「悪いこと」かは別の話です)。学歴社会である日本では特に、「机に座って勉強をする」ことを身につけ、目の前の楽しみを先送りにしてでも、今努力して知識や技能を獲得する。そういう態度や「傾向性」(=ハビトゥス)を持っている人間が、「学校」という社会に適応しやすいのかもしれない。

 確かに、禁欲的な勤勉さは大切なのかもしれませんが。個人的には、人生を、気楽に、楽しんで生きているようなハビトゥスを身に着けていきたいなあと思います。学生時代から、これは凄く悩んだところです。学ぶこと自体は、もっと楽しくて、人生において、夢や信念の為に戦い続けることは、もっと誇り高いことなハズ。

 僕はそんな思いから、大学卒業後も、学び続けたいと思いました。ただ、仕事に生かす為とか、受験の為とか、「何かの為」に資格をとったり、技術を身につけたりということにはウンザリしていましたので。今は自粛を余儀なくされる時期でもあり、逆に様々なことを、自由に、深く学んでいます。

 例えば、昨日見たドキュメンタリー映画は面白かった。ルースが本当にカッコよすぎて、僕もあんなマジイケてる85歳になりたいと思いました。さあ明日も、コツコツ頑張りましょ。


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