100日哲学チャレンジ☆11日目

 前に投稿した日からだいぶ間が開いてしまったので、もはや100日チャレンジとは呼べないかもしれませんが、とにかく記事を100本作ることを目標に書いていこうと思います。

 この数日は、仕事も忙しく、また精神的にも不安定で、執筆するどころではありませんでした。まあ倫理学で言えば、エピキュリアンとストイックの間で、極端に揺れていました。

 小さい頃。これは母から聞いた話ですが、僕は大変我が儘で頑固者でした。小学校入学前、字の読み書きを予め勉強することを母に提案されても、「小学校に入ってから勉強するから、いいんだ」と言ったそうです。入学して暫く経つと、同級はみんな既にひらがなをマスターしていることが分かり、「ぼくだけ字が書けない。へたくそだ。」と言って毎日泣いていたそうです。

 小学2・3年生になると、上級生によるいじめが始まりました。トイレの個室に入ることを、クラスのみんなが怖がっていました。衝立の上から覗かれたり、スリッパやトイレットペーパーを投げ入れられたり、壁を叩いたり喚いたり。中学1年生の頃、引っ越したのですが、トイレの個室に安心して入れることに感動したことを、覚えています。それまではとにかく、我慢でした。

 ですが、担任の先生を思い出しても、頼りにならない変な先生は二人に一人くらいの割合だったので、まあ別に酷い学校時代を送ったとは思っていません。

 家は昔は貧乏だったし、両親共働きで、今よりもっときつくて長時間の労働をしていました。父親とは、1週間のうち何日かは、会えないことも多かった。家にいるときは、よく叱られていました。覚えているのは、トイレのこと。父のトイレが長くて、僕がトイレに行きたくなってもなかなか出てくれないので、泣きそうになって。母に頼んで出てきてもらうと、父はとても不機嫌でした。今となっては、生活の小さなことで、あんなにギスギスしていたことを不思議にさえ思います。何かにつけては怒鳴りつけられた。

 母は、小説家になりたがっていました。でも、子育てや仕事の忙しさ、体調を崩したことで、思うように好きなことができなかったようです。中学生頃になると、毎日のように、僕の養育費の話をされました。「しっかり勉強して、国公立の高校、大学に入りなさい。あんたの為にお金が掛かっているのだから。」

 僕は中学2年の頃、成績は学年トップクラスでした。しかし、その後思うように成績が上がらなくなり、両親から叱られることも増え、苦しみました。勉強をサボって、量をこなせなくなったことが原因、つまり勤勉さが足りなくなったからだと、長い間考えていました。しかし今思えば、ちょうど数学は図形の応用問題、国語は文章題が増える頃で、少し勉強したからできる内容ではなくなってきたからだと思います。それまでのように、ドリルを一通りやって覚えるだけの勉強法では、間に合わなくなってきていたのです。

 僕は毎日、自分を責めました。その頃、塾に行くお金はなかったので、通信教材で勉強していたのですが、教材が山のようにたまっていきました。とてもこなせるレベルと量ではなかった。でも、僕はなんとか母や周囲の期待に応え、友人からも、先生からも、みんなから愛されたいと思い、意地を張り続けました。中学2年生から生徒会活動に加わり、同時に運動部でも活動していました。苦しくも、楽しく充実した日々でした。ほぼ徹夜状態で全てをこなして、母から褒められたときは、嬉しかった。その後のバーンアウトで何も手につかなくなり、再び仕事が溜まって怒られれば、死にたいと思った。死ぬか、生きるか。怒られるか、褒められるか。二つに一つが、僕の価値観でした。

 高校、大学も、さして変わりはありません。ただただストイックに活動することを自分に課して、それができない自分を責め続ける。

 僕の人生を変えた、二人の女性に出会うまで。それは変わりませんでした。

 (さて、今回は此処までにしておきます。)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?