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「ふらっとカフェひどこ」オープンへ向けて

人のよさを生かす教育システム作り

 現在、僕は名古屋市北区の大曽根商店街(オズモール)及び大曽根本通り商店街(オゾンアベニュー)にて芸術活動をしています。先日、キャリア教育コーディネーターを取得し、いよいよ教育資源をイチから開拓することに本格的に挑戦していきます。
 大学時代に、「大学教育ツーリズム」という大学生向けの研修を運営する経験をさせて頂きました。その時に知ったのは、仲間と共に新しい価値を作り出していくことの面白さと大変さ、世の中を少しずつひっくり返していくようなプロジェクト運営のゲーム感覚と、人の感情の難しさでした。僕はいつも、仕事も趣味も熱中すると、戦略ゲームを解いているような感覚になってしまい、疲れも忘れてやり続けます(そして、突然燃え尽きますw)。しかし、人を大切にする、人を幸せにするという前提がなければ、どんなプロジェクトにも存在意義はありません。商店街の活動においても、僕は「人のよさを生かす教育システム作り」をコーディネートしていきたいと考えています。

なぜ、「教育システム」なのか

 今、そして未来は、環境の変化が激しい時代と言われています。次々と変化に対応する新しい価値や仕組みを生み出していくカリスマたちが世に出ても。彼らが何らかの形で抜けた組織が瓦解したり、混乱したり。
 或いは大きな、影響力のある組織ほど、風通しが悪く、いつまでも戦後やバブルの頃にトップとなった人たちが、その座にいて。
 やがて過去の失敗やトラウマから、変化を拒み、時間が止まったかのような風景を作り出していったり。何のために作られたのか今となっては全く不明な、莫大なお金と時間のかかったであろう建物やら遺物が溢れたり。
 そんな風景を、僕は様々な組織や自治体で見てきました。まあ、よくある話なんだろうと思います。
 仕事柄、趣味柄(?)、僕はそういった状況に対して、なんとかする(カッコよく言うと、マネジメントする)役が多いのです。しかし、そういった泥被りみたいな役は(僕は、「泥遊び」と言いたい。「掃除屋」もカッコいいけどなあ)、独りで背負うものじゃない。結局、その場所に魅力や価値、楽しみを創り出し、誰かに「良いなあ、面白そう」と思ってもらって、関わって貰うのが近道。でも、それは街の為じゃない。街も組織も、存在理由の何処かに「所属する人の幸せの為」がなくちゃ。つまり、関わってもらったことで、その人が幸せになる街。それをたくさんの人にとってのものにするには、システムにしなくちゃ非現実的なんです。
 じゃあ、なんで教育なのか。
 私の専門領域は、キャリア教育なんです。
 キャリア教育が目標は、ざっくり言うと、「その人にとって、その人らしい人や世の中との繋がり方を探ること」なんです(詳しくは、文科省のページを見て下さい)。普通に生きていて、職場、学校、家庭の3つは、よく関わると思う。あとは、ショッピングセンターとか、テーマパークとか、お金を使って、サービスとして楽しむ施設とか。

 でも、街に関わる、街と繋がるって、商店街の周辺に住んでるとか、イベントとか特殊な状況じゃないとなかなか難しい。だけど、そもそも街は住む人の為に作られている筈で、子どもも大人も、街のなかで楽しみ、そこで色んな人たちと出会い、新しい自分を発見したりすることが日常になったって、別に良いと思うんです。

 そう、発見って、つまりは学ぶってこと。学ぶことは、学校にいるときも、卒業しても、一生できること。教えることも、先生だけの特権じゃなく、地域の誰でも、長けている分野では「先生」の筈。学ぶことも教えることも、繋がりが必然。
 
 そういう訳で、色んな人が訪れて、色んなことに挑戦して、遊んで、繋がっていく。そんなカフェづくりを今、目指しています。

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