「夢の溜まり場」をつくる。その3

 『菜根譚』と歩く。

 また、一人になった。
 これで別れるのも何度目だろう。
 でも、今回で少しわかった。僕は、なかなか人と相容れるのが難しいと感じてるし、”普通”の趣味嗜好の方々とお話は長続きしない。というよりも、”普通”と僕を対比して、僕の足りない部分を語ってくださる方々と偶然にも一緒にいる機会が多いというだけなので、別に批判する訳ではないが、僕だって自分らしく暮らしてみたい。さて、弁解を続けても惨めなだけなので、先に進もう。

 趣味や仕事の場面で、プロジェクトを運営したり支援する中で自分が得るものは、人間としての成長と、人生の本質に迫ることができるかもしれない面白さだ。何を成すか、どんな成果を得るかよりも、その過程でどんな哲学を得られるかが、自分にとっての興味なんだ(ここを、今まで出会った彼女は全然理解してくれなくて、「プロジェクトなんて何故やるの?」「どうして普通に遊んだり、ゆっくりしたりしないの?」と言われる訳。まあ、仕方ない)。例えば今取り組んでいる、商店街におけるアートプロジェクトだって、大学の頃には運営の必死さから抜け落ちていた、”仲間とのコミュニケーション”を大切にできるようになりたい、という目標を掲げてやっている。
 でも、やっぱりどんな成果を出したか、コンテンツ自体を評価してほしいと欲を出してしまいそうになる時がある。その時は、『菜根譚』を開いて、思い出すんだ。

”人を利するは、実に己を利するの根基なり”

 僕なりに解釈すると、相手のやりたいことや、実現したいこと、知りたいことに沿って、相手を主役にして自分の話をすれば、ただの自慢にはならないだろうってこと。だけど日本人にありがちなのはきっとその逆で、人の為に人の為にと頑張りすぎて、そこに”自分”がスコンと抜けて、何のために自分が頑張っているのか分からなくなること。

 ”十謀九成るも、未だ必ずしも功を帰せず”

 という言葉もあるように、人って、10個の内の9個ができていても褒めてはくれなくて、寧ろ1個できてないことをわーわー行ってくるのが実際。だからこそ、”人の為に”ではあるけれども、他人の「いいね」をあてになんかしないで、自分の楽しみにそれが繋がっているようにプロジェクトは組み立てていくのが、継続のコツだとよく思う。

 例えば、今度自分が住んでいるシェアハウスの中に”日本酒バー”を作る計画をしているんだ。日本酒好きと、料理好きと、木材を使った空間づくりを進めたい人がメンバーにいるんだから、必然と思いつくよね。以前、田中元子さんの「マイパブリックとグランドレベル」の中にも出てきたから、いつかやりたいと思っていたんだ。構想と設計図は大まかに作ったから、あとは芸術系の学生さんやクリエイターさんと相談してデザインを決めて、作り始めるだけ。社会貢献って、”貢献感””やりがい”を一番に謳うボランティアもあれば、”ちゃんとお金になる”ことを大切にする企業さんもあるし、それはそれで素敵。でも、アートとか趣味から、社会に貢献するのもアリなハズ。少しずつ、模索していきたい。

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↑素人でも、何回も建物の測量やら家具の設計やらやってたら、なんとなくの図面は書けるようになってきた(ような気がする)。

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