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リスカ痕と向き合う

リストカットの痕がある事について、私の考えていることを書かせて頂こうと思います。

これは結論も出ていない、ただの殴り書きですが、このような人間もいるのだと思って頂けたら。


私がリストカットを始めたのは高校生の時で、きっかけは覚えていません。理想の自分になれない事への不安や上手く立ち回れない事への怒り…ちょっとした事でも何かある度に自分を責めていました。自分が許せなかった。

小心者の私は自分のイライラや不安を人に見せる事が出来ず、自ら処理すべく 人から見えない腕や足を切りつけていました。

いけない事だという自覚があったのと、大人になってストレスを以前よりも上手く処理していけるようになった為、8年程前にリストカットときっぱり決別しました。しかし深くはないものの、白い痕が無数に残ってしまいました。

切っていた当時は言わずもがなですが、リストカットを辞めていてもリスカ痕がうっかり人の目に触れれば大袈裟に心配されたり、好奇な目で見られたり。気持ち悪い!と傷痕が原因で離れて行ってしまう人もいました。

でもそれは、至って普通の反応だと思います。気分を害してしまう人もいれば(そういった人には大変申し訳なく思っています)、壮絶な過去があったのでは?と勘ぐる人、メンヘラ地雷野郎とレッテルを貼る人もいる。個人的な意見ですが自業自得だな、と思います。

リスカ痕がある事で、どんなに今 心穏やかに生活していようとも、残念ながら"今"よりも"過去"を見られてしまう事が多いのです。

その現実と直面し、一時期酷く落ち込みました。

しかしながら、消えない傷痕を今後もずっと抱えて生きていかなければならない…やってしまったという事実は消せない。

そこまで考えて、私は、

じゃあもう、しょうがないんじゃね?

と思いました。

決して投げやりなのではなく…もうやってしまった事実は消せないのだから、これからをポジティブに生きていくしかないじゃないか、と。

私の"今"を見てもらうには、自分のリスカ痕を受け入れた上でこれからを前向きに生きていく事が大事なのではないかと思いました。

私はまだ、自分のリスカ痕を受け入れている途中ですが、大切な"今""過去"に食われぬように、新しい"今"を生きていきたいです。

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