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旗になる言葉を、別の立ち位置から、冷ややかに見る人がいるという事実。
言葉は、人をまとめ上げるための旗印になると同時に、その旗のもとにいない人には滑稽に見えることがある。
たとえば先日の衆議院選挙で、「選挙に行こう」というメッセージを掲げた有名人がたくさんいる。
選挙に行くこと、選挙に行こうと呼びかけることは、(それで本当に政治が変わるのかは置いておいて)良いことだと思う。
でもどこかに、今更そんなこと、と冷ややかに受け取って、メッセージを見ても行かなかった人がたくさんいるだろう。
「選挙に行こう」という旗印は、選挙に行かない人を動かしたい人たちのものであって、実際その端の下にどれだけ人がいるかは分からない。
繰り返すけど、選挙に行こうと言うことは悪いことじゃない。意味がないとも思わない。
ただ、あくまで、旗印になった言葉は、一部の人には空虚に見えるということだけ。
あるいはたとえば「SDGs」。
いまや子どもでも、むしろ子どものほうが知っている言葉だけど、
これもどれだけの人に届いているのか。
あれは社会問題に取り組むことに利がある企業のための旗印に見える。
個人で、差別の問題や、環境問題を意識している人はたくさんいるけど、SDGsに取り組んでいます、という人は今のところ見たことがない。
いやいや「エコ」とか「クールビズ」とか、そういうのでしょ。
と思う人たちは、SDGsという言葉をシニカルに受け取る。
旗のしたの熱と、そとの空気に温度差が生まれる。
ぼくは仕事柄、旗印となる言葉を設定することも多い。
あるいは創作活動においても、コンセプトという形で旗印を用意する。
ただ、注意したいのは、この旗のしたが世界のすべてではないということ。
それを忘れずに、言葉の力と、言葉の脆弱性のどちらも受け入れて、旗を振っていきたい。
最後まで読んでくれて、ありがとう!
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