明日へのおまじない

虫たちが元気に活動する季節がやってきた。かぶとむしのヒップライン、カマキリの首筋、トンボやセミの編み編みの羽根。虫たちのフォルムは、よく観察するとどれもたいへんユニークで美しい。彼らは、次の世代を残すために、ひたすら機能を追求し、進化を重ねて今の姿になったのだ。あらゆる無駄を削ぎ落とし、洗練されたその姿は、まさに「機能美」という言葉の代表例といえる。


一方、工芸の世界には「用の美」という言葉がある。
これは、民藝運動が活発に行われた昭和初期、その中心人物であった柳宗悦氏が、美しさの基準を示すものとして用いた言葉だ。
ややともすると、先述の「機能美」と同意に捉えられがちだが、本当の意味は少し異なる。


「用の美」とは、使っていくうちにその風合いや味わいが深くなり、新品の時よりもどんどん趣が出てくるおもしろさ、使用によって増す美しさのことである。工芸品は、「用の美」によって、使えば使うほど価値が上がっていくことがあり得るのだ。
ただし、工芸品が「用の美」を醸し出していくためには、3つの前提条件がある。


ひとつ目は、使用者に選ばれ、愛されて使われるためのそもそもの「美しさ」。ふたつ目は、気に入って使い続けてもらえるだけの使い心地のよさ、すなわち「機能性」。そしてみっつ目は、長期間の使用に耐えうるだけの「強度」である。この3つの条件を満たして、「もの」は初めて「用の美」を生み出す資格をもつ。つまり先述の「機能美」は「用の美」を生み出すための条件に含まれているとも言える。


残念ながら私たちは、現代社会において、経済発展の名のもとに、この「用の美」からどんどん遠ざかる社会活動を展開している。大量生産大量消費。使い捨て文化。


購入して、開封して、すぐにゴミ箱にいくものがどんどん増えている。
確かに便利ではあるが、「用の美」を醸し出すことからは程遠い。
このままの価値観や社会の仕組みを、つぎの世代に残してよいのだろうか。虫たちに恥ずかしくない懸命さで、子孫に残すべき美しさを追求しているだろうか。


私は約十年前に、南丹市を拠点としてNPO法人京都匠塾を立ち上げ、こんな疑問を少しずつでも解決するために、地域の子どもたちを対象とした「工芸体験教室」を開催してきた。みんな自分で作ったものは、それはそれは大切に扱ってくれる。それもそれでうれしいのだが、私たちはそこで、「身の回りにあるひとつひとつのモノも必ず誰かが作っています。もっと大切にしよう。」「すぐにゴミ箱行くモノではなく、できるだけ長く愛せるものを選んで買おう。」というメッセージを投げかけている。


「経済発展」という呪文の中で、便利さや経済的な豊かさだけを追求しすぎた結果、ほんとうに大切な価値観を削り落としてきたこれまでの社会において、心を目覚めさせる「おまじない」のつもりだ。

(2015年7月 京都新聞掲載)

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