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メイドのお小遣い

「スピーキング」のクラスは、多忙な校長が担当しているため、ほとんどただのおしゃべりの時間となっていて、例えば発音を矯正するとか、気の利いた言い回しを練習するとか、いわゆる授業っぽいことは行われていない。
が、インド(デリー)で日々生活する上での情報が得られることが多く、その意味で勉強になっている。

「先生のそのサリー、素敵ですね! どこで買ったんですか?(xx州の手工芸品展とかかな?)」
「yyyっていうオンラインショップ。」
など。

先日、「ディワリに使用人にお小遣いをあげるべきかどうか? いくらあげるのか?」という話になった。学生でもそこそこの広さのアパート在住で、メイドやゴミ収集係、門番にお世話になっている人も少なくない。
講師は「私は、お菓子とお金と服を渡している」ということだった。外国人学生としては、結構渡すんだな…? という印象。「メイドのお給料は月2000ルピーだけど、具体的にどれくらいあげればいいのか?」とさらに学生が聞いたところ、「うーん、お金だけ、1000ルピーくらいじゃない?」との回答。やっぱり意外と多めだ。年イチのボーナスという感覚か。
学生はさらに続ける。「いやさ、あげるのはいいんだけれど、普通さ、お店でもなんでもこちらがお得意さんだったら、お店側は感謝して、サービスするものじゃない?? インドのメイドとかは感謝もないし、サービスも良くならないし、さらにお金お金言うばっかりなんだけど! 去年のクリスマスだって、結構高い食べ物あげたんだけど!!」的なことを主張。わかる…。わかるよ…。それがイヤで、私はメイドを入れていないし、(特に商品・サービスを提供する)インド人との付き合いには慎重になっているのだ…。「うん、まあ、インドはこういう社会なんだよ。こうやって、喜びを分かち合うのよ」ということで、その日の授業は終わった。
「日頃の働きをねぎらう」とか、「これからもしっかり働いてね」とかではなくて、「オレ、ハッピー! オマエに、ハッピー分けてやる!」という発想なのかな、とぼんやり思った。誕生日を迎える人や、進学・就職に合格した人が周りにスイーツを振る舞うのもそういう発想なのかもしれない。

なんて授業のあった翌朝、玄関前で洗濯物を干していると、アパートの他の部屋で働いていると思しきメイドにお小遣いをねだられた。はっきり「ディワリだからお金ちょうだい」と言う。清々しいな。以前、「お掃除してあげるよ?(仕事ちょうだい)」と言ってきたメイドだ。敷地内で時々姿を見かける。「いやいや、ウチの仕事してないよね?」とは言ってみたものの、前日聞いた話が気になったのと、少しくらいお金を渡しておけば、何かの時に助かるかもしれない(ただし今後も度々お小遣いをねだられるかもしれないけど)と思った。少なくとも、お金をもらえない腹いせの嫌がらせは防げる。
普段はあまりそういうことをしないのだけど、インド人大家に相談してみた。すると、「10ルピーか20ルピーあげれば」と言う。おお…。実はこの方は、日頃は1ルピーたりとも無駄金を使わないシブチンなのだ。「絶対あげるな」と言うかと思っていた。そんな人が言うんだから、あげるべきなんだろう。50ルピー札をつかんで外に出てみると、メイドはお向かいの部屋の外階段に座ってなんか食べていた。割と感謝してる風に受け取ってもらえた。
考えてみたら、このメイドはゴミ収集をやっている人のような気がする。玄関前にごみ袋を置いておくのだけなので顔を合わせることはないのだけど、収集台車を押していた気がする。その時は、顔を覆っていたので確認できなかった。その意味でもちょっとくらい渡して間違いではなかったのでしょう。

あれっ。でも、無職で電気のない生活をしている私はハッピーなのか…? 念願のヒンディー語留学できて、健康で元気に暮らしているのだから、十分ハッピーなのか…? 

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