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おかわり無料

日本(東京)で、「無料でおまけのナニカ」が入手できるのは、定食屋の白飯か、Soup Stock Tokyoのベビーフードくらいなものだ。対価なしに何かがもらえることは、ほとんどありえない。
翻って、インド。南インドのミールスが典型的な事例だけど、「もうちょっとちょうだい(タダで)」がまかり通っている。ミールスは、ほぼ食べ放題に近く、皿が空くとどんどん追加がよそわれる。デリーでも、屋台、ढाबा(ダーバー、大衆食堂)的な、眼の前に鍋があって皿によそってハイどうぞ方式の店であれば、ご飯余っちゃった、もうちょっとカレーソースほしいな、という時に「もうちょっとちょうだい」と言えば、だいたい黙って追加してくれる。

「カレー追加する?」と言われた店

「もうちょっとちょうだい」は、余裕、余剰があるのが当然の世界で成り立つものなのかな、ということを思う。

かつて、日本の大学を卒業して、日本の企業で働くインド人男性がこんなことを言っていた。「日本の会社はいつも忙しいよね。朝はチャイでも飲んで、おしゃべりして、ゆっくり仕事を始めればいいのに。でも日本は資源の少ない小さな国だから、そうやって一生懸命働いて経済回さなきゃいけないんだなー、って気づいたよ」と。
なるほど確かにインドは土地も資源も人手も有り余っている豊かな国だ。その感覚で、「時間」ですら1日2400時間くらい潤沢にあるのかというくらい、余裕しゃくしゃくと振る舞っている。「モノや時間の無駄遣い(≒もったいない)」は、日本人が蛇蝎の如く忌み嫌う行為なので、軋轢の生まれやすい点だ。KHS講師がなんの連絡もなく欠席するとか、遅刻するとか、眼の前にいるのに授業を行わないとかも「我々学生の時間の無駄」と感じる。

物乞いやメイドやドライバーなども、「もっと金よこせ」と、ごく平然と要求する。カレーソースを「もうちょっと」と言うのと変わりない温度感だ。日本人としては、一体何の根拠があるのか、どんな理由があるのか、はたして対価があるのか、さっぱり不明で、一方的に自分のリソースが搾取されているような気がして、なんとも居心地が悪く、不安と不満を覚える。モースの贈与論の対極にある、「無心論」とでも言うべき世界観。

「もっとちょうだい」が要求されるのは、食べ物、時間、お金に限らない。短期間に複数の人の口から飛び出したので辟易しているのだけれど「リスペクト」すらも要求される。
「あの子はアテクシにリスペクトがあるのよー。オホホ(お前もリスペクトをよこしなさい)」と、なんの躊躇もなく言ってのける。尊敬に値する人間になってから言え。恥を知れ。としか思えない。リスペクトは、無資格でタダで無限に得られるものだと思っているのだろうか。日本人としては、こんな発言をすることで、自分自身を品性のない人間に貶めているじゃないか、と思うのだけれど。まぁ、ここでおべっか使って、バターを塗りたくって(मक्खन लगाना→媚びへつらう)、最終的には相手から利益を引っ張り出すのが処世術というものなんだろう。

あまりにも品のない「リスペクト乞食」に気分悪くて仕方なかったのだけれど、たぶん、食べ物でもお金でも時間でもリスペクトでも、要求する側に悪気はなくて、「ひとこと言って手に入るなら儲けもん」くらいな感じなんだとは思う。

なお、物乞いへの対処方法は、「慌てず騒がず目を合わせずそっと無視」「自分の采配で多少与えてさっと去る」だと思っている。なので、リスペクト乞食にも「多少与えてさっと去る」。

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