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イードガー

リーダーのクラスは、プレームチャンドの『イードガー』から始まった。ヒンディー語の読み物といえば、映画の脚本とか芸能ニュースとかBBCとか、そんなものばかりだったので逆に新鮮。

祖母と二人暮らしの貧しい少年が、なけなしのイードのお小遣いで、お菓子を買うでもなく玩具を買うでもなく、祖母のためにローティーを焼く時に掴むトングを買い、バカにする友人たちに「玩具のように壊れたりしないし、何なら玩具としても優秀」と自慢し、帰宅後に祖母を感動で泣かせる、というショートストーリー。

インドの物語のなかで、このような「知恵を働かせて困難を切り抜けて、しかも愛情深い若者」というのは、ヒーロー的で理想の登場人物の姿だと思う。そしておそらく、実生活でもそのような態度は好まれるのだと思う。

映画『シークレット・スーパースター』でも、主人公インシアは、アーミル演じる往年の大物歌手を若干脅しながら、上手いこと知恵を働かせて話を付けて、DV被害下の母と自分の未来を救う。

「インドのお話」である限り、非常に面白くて痛快な展開だと思う。でも同時に、日本では通用しないな…とも思う。
「知恵を働かせる」部分は、日本では「小賢しい」という否定的な評価になってしまうし、ちょっとやそっと知恵を働かせたところでどうにかなるような隙は、日本社会には存在しない。
そして社会のルールや大義や常識や空気感を破ってまで自分の家族を優先する姿が美しいと認められることは、少ない。

インド社会も日本社会も、それぞれに良いところをたくさん持ち合わせている。しかし、相容れない点が多い。そのあたりが原因で日印間を色々な理由で行き来する人々が病みがちなのは、なんともつらい。

と、いうのが、プレームチャンド『イードガー』の正直な感想。インド文化の中で発言する限りは、「なんて賢くて愛情深い少年でしょう!」としか言うつもりはないけど。

なお、本日9月28日は、ミラード・ウン・ナビ、ムハンマドさんの誕生祝いで祝日、休校。正直、イスラム文化には疎くて、いつ、どこで、何が行われるのか、さっぱりわからない。間違いなくインドの一部分なのだけれど、この部分はハードルが高い。


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