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グル・ナーナク・ジャヤンティ

今年は11月27日月曜がグル・ナーナク・ジャヤンティで祝日、休校だった。「生誕記念日」だが、太陽暦カレンダーではなく、ヒンドゥーの太陰暦カレンダーの「カールティク月のプルニマ(満月)」の日なので、ディワリ等と同じく年によって日にちが違う。ヒンドゥーカレンダーで「xx月の何日め」のイベントはたくさんあって、季節の変化を如実に捉えている感じがする。日本のヒンディー語の先生が、渡印することはないけれどヒンドゥーカレンダーをお土産に欲しがっていたのが分かる気がする。

この日はグルドワーラーに行こうかどうしたものか考えたが、勉強が追いつかなくなっているので、出かけず部屋にこもることにした。神はグルドワーラーにいるのではないし。

長年、インド古典舞踊バラタナティヤムを習っている(いた)ので、インドの宗教事情(ヒンドゥー教)については、多少は知っているつもりでいたのだけれど、いろいろと目の当たりにして圧倒されている。今になって、映画『PK』が賛否両論だったのが、とてもよく分かる。

しかし、よく作ったよね。

私がデリーで見ている範囲では、本当に、毎日毎日朝から神像に花を捧げて、バジャンを歌って、毎週指導者の集会に参加して、「質問コーナー」を楽しみにしている、というような生活を送っている人たちって、ものすごく多い。そんな人からすれば、映画『PK』で、自分の人生をコケにされたように感じたかもしれない。また、同時に、「神像は神じゃないよね」という、別の角度から信仰深い人たちもいるなどして、一筋縄ではいかないインド。

ところで、日本では「葬式仏教」と自虐的に言われることがあるけれども、大乗仏教と神道と祖先崇拝と土着信仰と教育勅語がミックスされた、清潔と秩序と調和と静寂と他人(の中の仏性)を重んじる現代日本仏教って、十分浸透していて、日本人の心と社会を支えているよね、とつくづく感じる。(デリーの路上のゴミ山を見ながら)
逆に、清潔や秩序や調和や静寂や自分のお気持ちが尊重されないと、パニックを起こしてしまって、インドでの生活や仕事に困難を感じる日本人も多いと思う。そんな時に心を沈めるお経の一つでも、日本で学ぶ機会があったらよかったなー、なんてことを思う。「南無阿弥陀仏」でいいのか?

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