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古ローマ聖歌覚書Ⅱ 研究史

前回の記事で、古ローマ聖歌の主要録音である Ens. Organum のアルバム5種類を紹介しました。今回は古ローマ聖歌をめぐる研究史をみていきます。


古ローマ聖歌の語義

古ローマ聖歌 Old Roman Chant について、Wikipedia では次のように紹介されています。

古ローマ聖歌は、初期キリスト教会のローマ式典礼の典礼用単旋律聖歌のレパートリーである。かつてローマで演奏されていたもので、グレゴリオ聖歌と密接な関係があるが、両者は別物である。グレゴリオ聖歌は、11世紀から13世紀にかけて、徐々に旧ローマ聖歌に取って代わられていった。

Wikipedia.「Old Roman chant」より和訳.[1]

こうした説明は標準的で、たとえば本邦でも「〔古ローマ聖歌がグレゴリオ聖歌以上に〕古い典礼伝統を示す」と言われてきました。ローマ聖歌〔グレゴリオ聖歌〕の成立は非常に長い時間をかけて展開してきたものなので、ある時期に一斉に手掛けられたわけではありません。しかしながら、儀式の次第と曲目が公的に整備される以前、すなわちローマ聖歌の整備化以前、ローマ圏を中心としてガリア・ゲルマン圏などに広がった聖歌として、古ローマ聖歌はおおよそ定義できるものと思われます。


[1] Wikipedia.「Old Roman chant」.


古ローマ聖歌の発見

ところで、古ローマ聖歌がこうした聖歌であると見做されるようになったのは、発見から暫く時を経てのことでした。

古ローマ聖歌研究の発端は、19世紀に興隆を迎えたローマ聖歌研究の影響下においてです。具体的にはヴァチカン図書館の所蔵する3巻の写本——Vat. Lat. 5319, V-CVbav : Archivio di San Pietro F.22, B. 79[1]——の発見だったといわれます。
ローマ聖歌研究の拠点であったソレーム修道院の研究者であるドン・モクロー André Mocquereauは、当初、これらをヴァチカン内で独自に発達したローマ聖歌の派生物と見做し、「ヴァチカン聖歌」[2]と呼びました。

André Mocquereau (1849 – 1930)

 ところが、それから20年後に同じくソレーム学派にあったドン・アンドワィエ Dom Raphael Andoyerらによってモクローの説は否定され、ローマ聖歌より古式であるとする学説、すなわち「古」ローマ聖歌とする学説が尊重されるようになってきます。

ちなみに、古ローマ聖歌という名称の命名者ですが、ブルーノ・シュテープライン Bruno Stäbleinが「筆者が1950年に命名したように、そうした古ローマ聖歌は」とある場所で述べているので、ひょっとすると彼の言葉に拠るのかもしれません。また、シュテープラインは同じ箇所で古ローマ聖歌の発生に関する管見も披露していますので、これも引用しましょう。

グレゴリウス1世の時代にペテロ世襲領はふたたび世俗国家にもどることになったが、そのさいとりわけ彼は、苦しむ民衆のもっとも切実な欲求を満たすべく、新たに獲得すべき遠隔地の諸民族に も遠く目を向けるようになった (596年のアングロサクソンへの伝道)。
ローマ典礼の問題も、こうした歴史的背景をふまえて論じるべきである。 無数の教会、会堂〔バジリカ〕、修道院、 殉教者ゆかりの名所、使徒の代表者ペテロとパウロの墓所のあるローマも、イタリアでもとくにミラノや南部ベネヴェントと同様に、独自の典礼を発展させたが、その聖歌は様式的には完全に古イタリアの旋律法にあてはまる。 筆者が1950年に命名したように、 そうした古ローマ聖歌は、後年の11世紀から13世紀のいくつかの写本により、完全な形で今に 残っている。 スペイン、 ガリア、 ベネヴェントがそれぞれ独自の典礼を完成させた時代と同じころ、教皇周辺で<これまでのローマ典礼はあまりに地域的で、指導的立場にある教会にとってはもはや充分ではなくなった>との感が深まっていたに相違ない。 ともあれ650年ころから675年ころまでのあいだに、 ローマの司教が教皇たる資格で各地の著名な大教会でおごそかに執り行った教皇指定聖堂のミサがいっそう重きをなすようになり、 加えて古ローマ旋律が発達して新旋律を生み出し、 9世紀には、中世の代表者として最大の権威を備えたグレゴリウス1世という、 それまででもっとも重要な教皇の名が新旋律に冠されたのである。

ブルーノ・シュテープライン、ハイリンヒ・ベッセラーほか監修、
『人間と音楽の歴史 単音楽の記譜法』、(音楽之友社、1986)、21。



[1] 近年、ヴァチカン図書館のデジタルアーカイブ化が進み、これら三つの聖歌は容易にWeb上で閲覧できます。

[2] 残念ながら入手の機会を逃してしまったため確認できないのですが、ソレーム修道院の法脈を継いだ伝説的な修道女であるマリー・ベリー Mary Berry の録音に、「Gregorian Chant from the Vatican」というものがあります。ここに収録されたアレルヤ唱である「Tu es Petrus」は Vat. Lat. 5319 所収聖歌であるため、このアルバムもまた古ローマ聖歌に取材したものである可能性を完全に否定することはできません。マリー・ベリーのアプローチは実直で、このアルバムも良い録音であったと記憶しています。余談ですが、彼女の指揮するマショーのミサ曲も隠れた良盤だと個人的には考えています。

古ローマ聖歌の特徴

冒頭の Wikipedia の記事にもあったように、「グレゴリオ聖歌と密接な関係があるが、両者は別物」というのが大方の承認をえた見方のようです。

入祭唱「Terribilis est」 の比較
上段が古ローマ聖歌〔Vat. Lat. 5319〕 下段がローマ聖歌〔F.VI.15〕


古ローマ聖歌〔Vat. Lat. 5319〕の「Terribilis est」
ラテラノ聖堂の聖別記念の入祭唱


ローマ聖歌〔F.VI.15〕の「Terribilis est」
パンテオンの聖別記念の入祭唱


こうした意見が出た理由としては、古ローマ聖歌の詞章がローマ聖歌の詞章以上に長大である点が関与しています。つまり、整備化される=ローマ聖歌に代わられる過程で詞章がシンプルになっていった、という論拠です。シュテープラインの「古ローマ典礼のほうは音程幅が狭いのに反して、グレゴリオ版は<覚えやすい>」[1]という言説は、こうした見方を踏襲しているのでしょう。くわえて、「ローマ教皇の名にちなみ「グレゴリオ聖歌」などと呼ばれて来た聖歌とほぼ同じ歌詞や典礼暦に基きながらもその旋律は微妙にそして明らかに同じではない」[2]という点も関与してくることになります――この点は改めて後述します――。


前掲書、『人間と音楽の歴史 単音楽の記譜法』付録「ネウマ表」を加工編集した図
左二種が近代のネウマを、右に「中部イタリア〔古ローマ〕式」を配置


ところで、こうした諸々の特徴のなかでも特にギリシア語の聖歌が収録されている点は、学者たちの関心を大に引いてきたようです。この点は古ローマ聖歌の演奏にかんする話題に関わるので、次章に譲りましょう。
<次回投稿につづく>


[1] 前掲書、『人間と音楽の歴史 単音楽の記譜法』、140。

[2] 伊藤恵子、「グレゴリオ聖歌前史Ⅰ 古ローマ聖歌復元の試み」解説書、1。

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