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理由はありありですよ!『理由なき反抗』

こんにちは。
久しぶりに渋谷TSUTAYAに行ってきました。最近は映画やドラマといえばもっぱら配信サービスに頼っているので、なんだか新鮮な気がしました。思えば、「監督別」なんていう棚をぼんやり見ていて「あれ、この監督、なんの映画で知ったんだっけ?」なんて引っ掛かって、そのままその監督作品の一覧をザーッとあさっていっちゃう、なんてこと、配信サービスではなかなか起きないですよね。
とはいえ、配信サービスは便利ですよね。それに負けじと、TSUTAYAではいろいろ工夫してビデオの陳列をしていました。「100回観たい傑作映画」のコーナーでは、年代別に傑作映画を並べて展示してくれています。ただの傑作じゃなくて「100回観たい」というフレーズ、説得力ありますよね。じゃ1回くらい観てみるかって気になります。
さて、そこにはあまりに有名、ゆえに観てない(天邪鬼!笑)という映画がいくつかありまして、今回2本ほど借りてきました。その一つが『理由なき反抗』です。ネタバレ考察になりますのでご注意ください。(ただなんせ「100回観たい」と言われる作品ですから、ネタバレしても楽しめると思います!)

時代背景

本作の公開は1955年、日本でいうと『ゴジラ』(1954年公開)と同時期ですね。当時の米国大統領はトルーマンからアイゼンハワー(53年就任)になったところ、冷戦たけなわの時代です。また1950~1953年にかけては朝鮮戦争がありました。本作に描かれるような弛緩した大人、優柔不断な大人に対する不審と相まって、若者たちにそこはかとない不安が蔓延っていたのだろうと思います。主演のジェームズ・ディーンが当時の若者のイコンとなった理由は、こういった虚無感や鬱屈を本作で表現できていたからでしょう。

役者ジェームズ・ディーン

理由なき反抗といえばジェームズ・ディーンのイメージでした。この作品の主人公が「ジム」または「ジェイミー」と呼ばれていることで、「あれ、ジェームズ・ディーンて役名なんだっけ?」と軽く混乱しました。が、役者の名前ですね。
EAGLESというバンドの曲に『James Dean』というものがありますが、その歌詞に“Too fast to live, too young to die” というフレーズがあります。この歌詞の通り、突然銀幕に現れて本作で主演を務め、公開の1ヶ月前に自動車事故で急死しました。24歳でした。

主人公の人柄

ジム・スターク、というのが本作の主人公の名前です。スタークと言えばトニー・スターク(アイアンマン)ですよね。本作は55年公開、アイアンマンは1968年からの連載です。アイアンマンのトニーは大の車好きですし、性格的にも関係なくはないと思うんです。
その性格ですが、ジムは孤独を抱えた心優しい少年です。『理由なき反抗』というタイトルや、ジェームズディーンの世の去り方の影響か、キレッキレに尖ってる暴走不良少年、というイメージがありました。が、さにあらず、ジムはナイーブで優しい高校生です。その点を強調するかのように、この映画の冒頭は、酔っ払ったジムが道に落ちた猿のぬいぐるみに優しく包装紙の毛布をかけ、添い寝してやるシーンから始まるのです。
補導されたジムに少年課のレイ刑事が非行の理由を尋ねますが、「自分でも理由はわからない」と語ります。ただ、このシーンで彼のフラストレーションは結構語られてるんですね。大人はそれぞれ言うことが違って、僕はバラバラになってしまいそうだ。父親を骨抜きにする母親。一日でいいからこの恥ずかしさから逃れて生きてみたい。父親は僕を愛してくれるし僕も愛している、でも苦しませたくない、僕は死ぬしかない・・・。父親というのがキーワードで、このシーン何度もジムが口にします。
また、夜中に出歩いていたかどで補導されていた本作のヒロイン、ジュディも、形は違えど父親に対するフラストレーションを抱えていることが描かれます。
※トニー・スタークも父親に対するコンプレックスを抱いていましたよね・・・。

父親という存在

そのジムの父親ですが、どんなキャラクターとして描かれているでしょうか。
ジムは地元のガキ大将のバズとチキンレースに挑みます。崖に向かって車を走らせ、どっちがギリギリで車から飛び降りるか、という度胸比べです。が、バズは飛び降りることができず落下し死んでしまいます。それを正直に両親に告白したジムに対し、母親は階段を3~4段登ったところから叱責、父親は座り込んで(カメラ位置的に跪いているようにも見える)おどおどと説得。ジムはそれに挟まれる形になっています。この家のジムと両親との関係性を象徴的に表すシーンです。この時の両親の対応も酷くて、母親は「また引っ越しましょう(ジムたち家族は引っ越してきたばかり)」とか言い出すし、父親も「ナンバープレートは見られたのか」なんて聞いてきます。ジムは母親に「僕から逃げないで」と懇願、父親にも「どうしたらいいか教えてください」と詰め寄りますが、父親は言を左右させて答えません。ジムは家を飛び出してしまいます。ジムの父親は優柔不断で、子供に真正面から向き合えず、奥さんの顔色を伺うような男として描かれていることがわかります。

ジムが父親になる

この映画の主要キャラにはもう一人、ジョンという少年がいます。彼は拳銃で犬を撃った容疑で警察に補導されていました(やばい)。両親が離婚し、家政婦とほぼ二人暮らし状態です。彼はジムを気に入り、慕うようになります。執拗に自分の家に招待し、「パパのように朝食を取るんだ。君がパパだ」とジムを誘います。ジョンはジムを不在の父親に置き換えようとしているんですね。
ジムは先ほどの口論の後、プラネタリウム近くの空き家にジュディと共に逃げ込みますが、そこにジョンもやってきます。空き家という空間において、ジム&ジョディという両親+ジョンという子、という構図ができるわけです。
ジムは眠り込んでしまったジョンに上着をかけてやり、ジュディとイチャイチャし始めますが、そのとき彼らを追いかけてきた不良少年たちがジョンを取り囲んでしまいます。ジョンは目覚めたら一人ぼっちで置いていかれたときのショックで混乱し、持参した拳銃で不良少年を撃ち、さらにジムを撃とうとします。「なぜ僕を一人にした!」「君は僕の父親じゃない!」
ジョンは父親に置いていかれるというトラウマをフラッシュバックしてしまったのでした。ジムはここへきて、ようやくジョンの孤独を理解します。ジムも父親に孤独を理解されず苦しんでいる少年ですが、ここでは自分(=父親)がジョン(=子)の孤独を理解してやれず、ジョンの非行を誘発してしまうという展開です。

ジョンの死

ジョンはプラネタリウムに逃げ込み、多数の警官隊に囲まれてしまいます。隙を見てプラネタリウムに乗り込んだジムとジュディはジョンの説得を試みます。寒そうなジョンにジムは自分のジャケットを着せてやり、ジョンはようやく心を開きます。
ジムはなんとか投降するよう彼を説き伏せますが、玄関先でジョンは怖気付きます。彼の恐怖を悟ったジムは、警官隊に探照灯を消すよう交渉したり、拳銃からマガジン(弾丸)を抜いたことをアピールして無事に投降できるよう尽力します。が、ビビって拳銃を振りかざしてしまったジョンは警官隊に撃たれ、絶命します。
現場にきたジムの父親は、ようやく決心を固めます。

ジム、今度こそ私を信じてくれ。何があろうと二人で戦おう。さあジム立つんだ。私がそばにいるぞ、お前の望み通り強くなってみせる

ジムは担架に乗ったジョンの上着のジッパーを閉めてやります。ジム父はジムに自分のジャケットを着せてやります。
このように、この作品にはジムの父親の成長譚、(ジョンの父親としての)ジムの成長譚、と入れ子式にテーマが描かれています。

まとめ・本当に反抗に理由はないのか

「理由なき反抗」というタイトルですが、子どもたちの反抗理由は結構丁寧に描かれているんですね。「理由なき」というのは誰から見た現実でしょうか?答えは二つあると思います。
①社会(大人たち)
ジムが事件に巻き込まれたと知って現場に向かう彼の母親は、「なぜこんなことが?新聞ではよくこんなことがあると知っていたけど、なぜうちの子に?」と発言します。作中、ジムはそれなりに正直に、真っ直ぐに自分の迷いを吐露しているように思うのですが、母親にはこれが届いていなかったようです。あるいは、母親は世間体を気にしてこのように発言したのかもしれません。いずれにせよ、それはジムの本心から逃げていますよね。そんな大人たちから見た子どもたちの反抗は「理由なき」というふうに見えているのです。反対に、ラストシーンで上着をかけてやる父親はジムの心に寄り添う覚悟をついに持ったということでしょう。
②若者たち自身
拳銃を持って暴れるジョンに対し、ジムは「(ジョンは)僕たちを身内にしたいんだ」とジュディに説明します。ジムはジョンの反抗の理由を理解したのです。本作で繰り返し描かれていることですが、反抗の理由は若者たち自身にも分からず、彼らは混乱しているのです。だからこそ、反抗の理由は周りが、大人が理解した上でそれを抱擁する姿勢が必要なのではないでしょうか。

以上、『理由なき反抗』の考察ノートでした。読んでいただきありがとうございました。
TSUTAYAの「100回観たい傑作映画」はまた利用させていただきます♪TSUTAYAさんありがとうございます!!

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