映画えんとつ町のプペル 感想パート2🤔

前回では映画えんとつ町のプペルの構成内容と自分が察するプペルの楽しみ方を述べてみた…今回ではこの映画を全部見終わっての印象を語りたい。

あらすじを話せば、、

煙で空が見えない、だから星が見たい。
細かい煙の設定(大人の事情とも言うかも)があり、それでも君は煙を吹き飛ばすのかい?となり、それでも吹き飛ばす!となる。

ここで重要なのが主人公の一人であるルビッチは細かい煙の設定を気持ちが固まった後に聞かされ空へと突入するというシナリオだ。

煙が晴れ、町の人々が星を目撃したとする。そこで伴ったなんらかの損害はルビッチ持ちなのか?とは言えない展開を見せる🤔なにせ町民みんなの手助けがありの状態でルビッチは空へと向かう。

と言うことは星空を見た事象に伴う損害は町民みんなが負う…

前回でも話した。この映画はクリエイター西野亮廣もテーマの一つである。と、、言うことは映画プペルの代償(どんなものか知らないが)を負うのはこの映画を祭り挙げた人間だけでなく、日本人全員で負う必要があるというメッセージであるように思えてゾッとしたのだが、、

この場合、

「クリエイター西野亮廣を止めることができなかった責任が存在していますよ」

と言うメッセージがあるのかないのか、、なんとも言えない気分になる結末だった。クリエイター西野亮廣支持者の安心感ってこういう源泉なのだろうか?🤔と酷く疑心暗鬼になるシナリオだった。

所詮エンターテイメントと言っていいのか良くないのか…日本エンターテイメントの意義が試されているような気がした。

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