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東方奇譚

はじめに

東方奇譚は、フランスの作家マルグリット・ユルスナールの短編集です。ユルスナールという名前をもしかしたらエッセイストの須賀敦子さんの「ユルスナールの靴」で目にしたことがある方もいらっしゃるかもしれません。私も、この本を読むきっかけになったのは、「ユルスナールの靴」を読みユルスナールというのはどのような作家なのかということに興味を持ったからでした。では、まず最初にユルスナールという作家について簡単にですが紹介したいと思います。

ユルスナールについて

マルグリット・ユルスナールは、1903年ベルギーブリュッセルで生まれました。本名はマルグリット・クレイヤンクールで、Yourcenar(ユルスナール)というペンネームはCrayencour(クレイヤンクール)のアナグラムから来ているそうです。母親は、ユルスナールを産んだ10日後に、産褥熱で亡くなってしまい、その代わりに博識なフランス貴族の末裔である父に指導され深い古典的な教養を身につけました。前述した、須賀敦子さんの「ユルスナールの靴」には、ユルスナールが幼くして母親を亡くしたことについて、あまりにも幼かったために母親を亡くしたという感覚がなく、彼女が初めて悲しんだのは彼女の面倒を見てくれていたお手伝いさんが暇を取り家を出て行ったことだというような逸話がありました。母親がいないこと自体が彼女の作品にどれだけの影響を与えているかはわかりませんが、必然的に父親が彼女の面倒をより多く見なければなくなったということを考えるとその影響は大きいように思えます。

16歳の時に韻文劇「キマイラの庭」を自費出版しその後作家として活動します。「ハドリアヌス帝の回想」で、アカデミー・フランセーズから賞を受賞し、その後「黒の過程」が審査員全員の票を得てフェミナ賞を受賞。そして、女性として初めて、アカデミー・フランセーズの会員に選出されるなど作家として輝かしい功績を残しています。

東方奇譚について

次に、本題である東方奇譚についてご紹介したいとおもいます。東方奇譚は、その名の通り東方のさまざまな逸話をもとにして書かれた短編集です。ただ、ここで注意しないといけないのは、ここでいう東方というのは、アジアということではなく西欧からまた東方であるので東欧諸国などの逸話なども含まれています。

ある本のユルスナールの年表には、ユルスナールは様々な東洋文学にも精通しており、「源氏物語」は彼女の愛読書の一つであったと述べられています。そのような彼女の知識をもとに書かれたのがこの短編集です。実際この短編集の一話には「源氏の君の最後の恋」があり、数々の色恋沙汰を起こしてきた光源氏の最後の恋がユルスナールの重厚な文体によって書き上げられています。

収録されている短編は、老絵師の行方、マルコの微笑、死者の乳、源氏の君の最後の恋、ネーレイデスに恋した男、燕の聖母、寡婦アフロディシア、斬首されたカーリ女神、コルネリウス・ベルクの悲しみの9個です。今回は、この短編集の中で私が最も好きな「老絵師の行方」を紹介させていただこうと思います。

老絵師の行方

時は、漢の時代。ある夜、商人の子である玲は、老絵師汪佛に出会います。その、老絵師の描く絵は大変美しく玲は驚嘆し、彼を自分の家に連れて来てき、玲の美しき妻の絵を描かいてもらいます。その絵もあまりにも美しかったため、玲は本物の妻よりもその絵の妻を愛するようになり、やがてその妻は自殺します。その後、玲は全財産を売り払い汪佛の弟子となって中国を共に人々に様々な感情を抱かれつつも旅をします。彼が帝都に近づいたある日、2人は逮捕され王宮に連れて行かれます。なぜ、自分を逮捕したのかということを皇帝に汪佛が尋ねると、それは皇帝が即位する前、外に出ることができず部屋に閉じ込められていた時代、汪佛の絵だけを見て過ごしていたのですが、いざ部屋から出てみると実際の漢は汪佛の描いていたものほど美しいものではなく大変失望したためということでした。そして、皇帝が持っている一作品だけは未完成でありそれを完成させて、そのあとそのようなことがないように彼の目を焼くというのです。老絵師が筆をとり絵を完成させた時…

その後、この物語は大変美しい結末を迎えますが、ぜひその結末は私のような駄文ではなく、きちんと白水社の白水Uブックスより発刊されている東方奇譚をお読みください。

私がこの話を読んだ時、その美しさにため息が出てしまいました。それは、ユルスナールの作品の美しさだけでなく、訳者の多田智満子さんの日本語の流れの美しさにもあります。この美しい短編集をぜひお読みください。

お読みいただきありがとうございました。



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