【古都を眺めて#1】〜遅く考える〜
21世紀は情報の時代と称されることがよくある。毎日世界中からニュースが手元のスマホという金属板に飛び込んでくる。
はやく、楽に、効率よく。
18世紀から今日に至るまで産業は基本的にこのモットーで発展してきた。作業の機械化、蒸気機関による交通革命、そして情報革命。
確かに人口の大半が貧しかった時代と比べると生活は楽になったし、便利になったし暮らしは豊かになったのだろう。
この流れにならって、僕たち人間も「はやく考えれる」ようになった。
分からない言葉はgoogleで調べればいいし、アイデアが欲しければチャットGPTに聞けばいい。
地図は見なくてもGoogleMapに言われるがままにすれば目的地に辿り着く。食べログで美味しい店は探せるし、本は買って読まなくてもYouTubeで要約動画を見ればその本についての概要は分かる。なにか社会問題が起こるとSNSでは肩書きが立派な方々が意見をぶつけ合っているので、それ見れば何となく理解できた気になる。
このように現代人ははやく情報にアクセスすることは出来るが、与えられる情報に対して脳の消化能力が間に合っていない気がする。
早い分軽いのだ。
よく咀嚼する間も無く丸呑みして、胃で栄養を吸収する間も無く排出される。
そんな情報過多の社会で一つのテーマに関して遅く、ゆっくりと時には行き止まりにぶち当たったり、進んだり下がったり回り道しながらぶらぶらと物を考える機会は失われつつある。
現代を形作る思想、技術、自然科学。それらを発明、発達させて来たのは少なからず「遅く」考えて来た人達だと思う。
福沢諭吉もワットもアインシュタインも一朝一夕で成功したわけじゃない。
遅く考える貴重な時間を作るために、僕は文章を書く。
言葉を選び、趣旨をまとめ、思考をぐるぐるとしながらゆっくりと書いていくことで自分の中にはやく考えることより大切な何かが生まれると思う。
役に立つことは書かない。
意味のあることを書きたい。
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