昨日の出来事からADHDとやる気のことを考える
昨日は9:30〜19:30まで10時間ギッシリと仕事だった。
接客業でバタバタしている。
自分の仕事をしながらいろいろな人が出入りしたり電話が鳴ったり、注意がコロコロ逸れる環境下で、スタッフからもあまり好かれていないことを毎日感じながら働いているため、いつものように疲れる。
(この環境を変えなきゃいけないと気づいたのは最近なのできちんと自分にあった環境へ変えようとは思ってる)
営業がおわると途端に緊張の糸が切れる。
疲労感に襲われる。
いつもなら帰り道の自転車を漕ぎながら目が虚ろになって、うつらうつらしている状態のはずだ。
こうなると帰宅してから色々とやることがあるのに、急激に眠気に襲われて何もできなくなってしまう。
ところが昨日は大好きな花火大会だった。
最初は行くつもり無かったけど、
仕事が終わった後久しぶりに行ってみようかな、と仕事しながら考えてた。
すると驚くほど軽いフットワークで自転車を漕いでいる自分がいた。自転車で家と反対方向に30分。
見終わった後も、眠気に襲われることもなくずっと楽しい気持ちのままだった。
元気があったのでこのままなにか作業ができそうだな、とコワーキングスペースにまで寄ってきた。
そのまま時間を忘れてPM23:00〜4:00頃まで作業をしてしまっていた。
何もない日にまっすぐ帰る日より、遠くの花火大会に寄り道して帰った日のほうが元気なのはなんでだろう?
報酬系機能が弱いといわれているADHD。
自分も例外なく、わかりやすく目の前にニンジンが吊り下がっていないと極度にやる気が出ない。
日々自分を取り囲む生きづらさと罪悪感、ストレスがやる気を飲み込んでしまう。
きっと人には伝わらないかもしれないけど、緊張の糸が解けた瞬間や、興味がないなとスイッチが切れた瞬間、
ストロングゼロのロング缶を一気に飲んだような眠気が襲ってくるんだ。
起きていようとか、仮眠をとってすぐ起きようとかがもう考えられない。
そんな私がこの日これだけ動けたのは、
「好きなものに関する刺激を受けたこと」で何かやる気に関するホルモンが出たのかななどと考察してみる。
毎日やるべきことをやるためには、その行動の先にかなりのご褒美だと感じることを用意しないと動けないのではないかと。
私にとってかなりのご褒美ってなんだろう。
花火大会を見た時。
美味しいごはんを食べた時。
人から感謝される時。
今書いてて全然思いつかないことに気づいた。
日常の何気ない動作の向こうに、日常の中のかなりのご褒美を考え置いておくって結構大変そう。
あくまで自分の行動からの考察だけど…
ちょっと考えながら動いてみようかな。
頭が考えたいことを考えられるのは、こうして朝起きて仕事に行く前のこの少しの時間だけなので忘れないように書き留めておく。
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