見出し画像

STAND BY ME

久しぶりにケースから取り出すと、それは、ブラスゴールドのボディを鈍く輝かせながら不機嫌そうにこう呟いた(ような気がした)

「随分とご無沙汰だったじゃねーか」

スウェーデン オプティマス社製キャンプストーブ SVEA123R ペットネームはクライマー(以下スベア)

SVEAとは、どうも古のスカンディナビアのヴァイキング、スベア民族のことらしい。
SWEDENという国名は「スベア民族の」という意味なのだそうだ。
その名を冠したストーブは、正に民族の誇りと伝統の結晶。
1800年代に生まれ、今も現役のロング&ベストセラーストーブなのである。

このシンプルでリトルジャイアントなストーブとの出会いは、高校1年の夏にまでさかのぼる。

毎年夏になると、休みを利用して行われる恒例行事「夏の林間学校」、ちょうど僕らの年度は信州は蓼科・八ヶ岳周辺を舞台に三泊四日の日程で行われた。
そのメインイベント(…)である北八ヶ岳連峰、東天狗岳登山。
懐かしい諏訪バスに揺られ、R299麦草峠は白駒池あたりからの入山ルートだったと記憶している。
ペラッペラの体育用ジャージ上下とバレーボールシューズ!?透明ビニール合羽という今では考えられないような超軽装備での登山。
やっとの思いで登頂を果たし、山頂で昼食休憩をしていた時の事。
プライベート山行のお姉さん二人組(今風に言えば山ガールね)に淹れたてのコーヒーをご馳走になった。
その時、彼女達が使っていたストーブがこのスベアだったのである。

ーなかなか味のあるストーブだなぁ

僕はスベアの何ともクラシカルな存在感に魅きつけられた。
当時僕は、イギリスのEPIというブランドのGASストーブを愛用していた。
ブタンガスのカートリッジ缶を取り付けて使うタイプのストーブである。
このタイプのストーブは、点火が簡単で火力の微調整もしっかりできる。
メンテナンスもほぼフリーなので、初心者のエントリーストーブとしては最適なのだが、デザイン・機能美といった点では若干物足りない。
更に使い終わったあとの空のカートリッジが、ゴミとなってしまうのもマイナスである。
そんな訳で、GASに替わる燃料のストーブに関しては少々気にはなっていたのである。
(最近はメーカーがカートリッジの責任回収を行いリサイクルに努めている。登山用品店やアウトドアショップに回収箱が設置されているので、空カートリッジはそこに持って行ってほしい)

スベアは、その小さなボディーに似合わない、ゴォーという勇ましい燃焼音を奏でていた。
バーナーヘッドから立ちのぼる四片のブルーフレイムは、あたかも頂きの風の中、健気にしかも力強く咲き誇る美しき青き山嶺の野花のようであった。
その時、スベアは正にストーブのあるべき姿で誇り高くそこにあったのである。

そんな出会いから月日は流れ、ティーンを卒業しようという頃、僕はあるものに夢中になっていた。

オートバイである。

厳密には「オートバイで旅をすること」オートバイツーリングに。

リアシートに衣食住をコンパクトにパッキングし、オートバイと共に旅に出る、それは風まかせの気儘な旅。
右手でスロットルを開け、左足で小刻みにシフトアップしていくと僕とオートバイは、美しき日本の風景の中へと旅立って行った。
移りゆく日本の自然を全身で感じながら、風に吹かれ、匂いをかぎ、人とふれあい、食に舌鼓を打つ。日が昇ると走り、沈むと眠る。
ロードマップを頼りに今宵のキャンプ地を決め、テントを張る。
焚火の火が落ち着くと一日の終わり。
今日の旅に祝杯をあげるのだ。
明日はどんなシーンが僕を待っているのだろう。
そう、オートバイの旅は、決して日常を引きずらない自由で豊かな旅なのである。

僕の旅は専らロングツーリング、しかも野宿というスタイルであった。
当然自炊をしながらの旅となる。
お湯を沸かしてコーヒーを淹れたり調理をしたりするのに、キャンプストーブは必要不可欠。
もちろん焚火も使うけれどいつもというわけにはいかない。
どしゃぶりの雨の夜もある。
そもそも焚火は自然へのインパクトが大きい行為なので、場所を見極める必要もあるからだ。
果たしてオートバイツーリング用のストーブはどんなタイプが適しているのか?

ポイントは燃料である。
長い時には、一ヶ月以上も旅を続けることもあるスタイルでは、途中での燃料調達が容易でなければならない。
先述したGASストーブであると、取り扱いが楽である反面予備のカートリッジを、日程相当キャリーする事は非現実的。
当時は、専門店でしか販売されていないことが多く、旅先でこまめに補充することも困難であった。
となるといつも手元にある燃料が使用できるものがベストとなる。
つまりオートバイのガソリンが使えることが合理的な訳だ。
スタンドでの給油時に、チョイとストーブ用の燃料ボトルに補給。
不測の事態にはオートバイの燃料パイプから直接もらう事も可能である。
実際僕もそうやって何度か救われた。
キャンプ用のガソリンストーブの多くは、
精製度の高いホワイトガソリン(白ガス)を使うタイプで燃焼性が良く煤もほとんど出ない。
自動車用のレギュラーガソリン(赤ガス)をそれらに使うと匂いや多量の煤が発生して、ジェネレーター(気化筒)が詰まり、トラブルを起こすケースが多かった。
このスベアは、一応ホワイトガソリン専用であるけれど、構造がシンプルなのでレギュラーを使って調子が悪くなった場合でも、その場で分解掃除をして、復活させることが可能と独自で判断(注:あくまでも独自に!ですからね)
点火には固形燃料を使い、タンク内の圧力を高め強制的に気化させる、プレヒートが必要だけれど、それも慣れれば気になる程の事ではない。

そんな理由で僕が選んだストーブがこのスベアだったのである。

スベアを手に入れてからというもの、いつも彼と一緒に旅に出た。
早春、残雪の白、芽吹きの緑、青い空のトリコロールから始まる日本の四季。
盛夏の信州、夕立から逃げるように駆け抜けたビーナスライン。
初秋の北海道、熊の恐怖に怯え朝までラジオが消せなかった日高の山上湖畔。
日本の原風景を探しに訪れた紅葉の陸奥、津軽・竜飛の岬に咲く波の花に、厳冬の始まりを見た。
沖縄のビーチ、冷えたオリオンビールの横で、真っ赤になってお湯を沸かしていたスベア。
遠く海を渡り、カナディアン・ウィルダネス、鮭・鱒達の溯る大河のほとり、BIGサイズのビーフシチュー缶を重そうに載せて必死で温めていたスベア・・・。

その土地その土地の、新鮮な空気をジェネレーターからいっぱいに吸い込み、変わらぬ燃焼音と青い炎を燃え上がらせながら、スベアは力強く時に優しく僕の旅を支えてくれた。

ーさて、コーヒーでも淹れるか。

ウォーターボトルの水をケトルに入れてスタンバイ。
今日一日の旅を終え、焚火の火を見ながらスベアに火を入れる。
薪がパンッと爆ぜ、火の粉が小さく漆黒の闇に舞う。
ジェネレーター下部の窪みにメタをセットし火を点ける。しばしプレヒート。
「そろそろかな」
バルブをゆっくり開けるとシューとスベアの息づかいが聞こえた。
ジェネレーターが温められガソリンが気化している音である。
燃えさかる焚火から一本の枝を取り、バーナーヘッドに近づけると、ボッと小さく唸りながら炎を燃え上がらせた。
ボッボボッボッ。
初めのうちは不安定なビートを刻んでいたスベアも、ボディ全体が温まるにつれ気化は更に安定し音が高音に変化していく。

ゴォーー。

スベアは上機嫌でドライブしているようだ。
青い炎がとても美しい。

夜のしじまに頼もしい燃焼音が響きわたる。
程なくしてケトルが白い湯気を立て始めた。

バルブを閉じると恐ろしいくらいの静寂が訪れた。

チッチッチッ。

ボディの冷却音を聞きながら、ゆっくりとコーヒーを淹れ始める。
それまでさほど気にしていなかった夜の闇と静寂が、スベアのバルブを閉じたその刹那、恐怖という名のマントを広げ僕を包み込んだ。

ー本当の夜だな

温かなコーヒーを一口飲むと、いくらか気持ちも落ちついた。

大自然の中では、人はとても小さく弱い存在である。
焚火とスベアのある「この場所」から一歩森の中に踏み込めば、野生が絶対的な存在としてあり、僕との間には決して侵してはならない境界線がある。
その向こう側、暗い森の奥の世界は、僕がどんなに目を凝らしても見ることができない領域なのである。
しかし、野生は僕の事をしっかりと見ている。
僕が何か悪さでもしようものなら、牙を剥いて襲いかからんばかりに

自然とは、野生とは実にそういうものなのだ。

自然はいつでも人間と一定の距離を保とうとする。
そのルールを犯し領域に入り込み傲慢に振るまうのは、いつも人間の方である。

「大自然と対峙する時、人はいつでも謙虚でなければならない。
なぜなら人はそのほんの一部に過ぎないからだ」

スベアと共に超えてきたいくつもの夜が、それを僕に教えてくれた。

「ガサッ!?」
暗い森の奥で何かが動いた様な音がした。
耳を澄まし夜の中に入っていく。
「フゥー」
深く呼吸をして夜の森を体中にいきわたらせる。
パンッパンッ、薪がひときわ大きく爆ぜた。

ーもう一杯、飲むか。

気持ちを落ち着かせるようにストレーナーをセットし、お湯を沸かす準備をする。
コーヒーのせいにすればもう少しスベアと話をすることが出来るからだ。
ちょっぴり怖がりの僕は、そんな風にいくつもの夜を超えてきた。
頼もしい燃焼音を聞いていると、僕は心地良い安堵感に包まれ、夜を愉しむ事が出来たような気がする。
そう、スベアはいつもそばにいて、旅だけでなく、僕自身をも支えてくれていたのかもしれない。

ここのところ星の下で眠ることもすっかりなくなった。
スベアはギアコンテナの中にしまい込んだままになって久しい。
なるほど彼が不機嫌なのも頷ける。

もう少し秋が深くなったら、一緒に出かけてみるのもいい。
冷たくなってきた空気をジェネレーターからいっぱいに吸い込んで
きっと彼は青く美しい炎の花を咲かせてくれるにちがいない。

燃えるような秋の森の中、久しぶりにゆっくりと話をしよう。
あの頃のように、コーヒーでも飲みながら。

「僕は今、君と初めて出会った信州で、小さな喫茶店をやってるんだ・・・」

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

*この内容は2012年に拙ブログのカテゴリー「モノ物語り」にUPしたものから抜粋し、改めて加筆・修正し投稿致しました。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?