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菅島灯台|三重県鳥羽市

鳥羽-伊良湖の伊勢湾フェリー船上から

菅島灯台(A)|三重県鳥羽市 2022年4月25日

 1873年(明治6年)7月1日に点灯を開始。設計はリチャード・H・ブラントン。1673年には江戸幕府によってかがり火による「御篝堂」が建てられていたが、1873年(明治6年)4月1日に点灯を開始した安乗埼灯台の灯火との誤認の可能性があるとして廃止が検討された。しかし日本船にとってこの地は鳥羽港への重要な目印となるため菅島灯台が建設されることになった。誤認を避けるため安乗埼灯台の灯質は不動灯から回転灯へと変更された。円形の灯塔という菅島灯台の外観も、木造八角形の安乗埼灯台との日中での識別を考慮したものとされる。神子元島灯台と石廊埼灯台の大小の対比と同じく、近接した灯台の対比処置はブラントンの灯台に見られるものといわれる。
 菅島灯台は現在も伊勢湾入港時に伊良湖水道を通過する際の重要な標識として稼働。菅島では毎年7月に行われる大漁と海上安全を祈願する「しろんご祭り」にあわせて灯台は一般公開されている。

 菅島灯台の点灯当時には、横須賀製鉄所建築課長のルイ・フェリックス・フロランによって観音埼、野島埼、品川、城ケ島の四つのレンガ造の灯台がすでに東京湾周辺に設置されていたが、ブラントンによるレンガ造の灯台としては菅島灯台が初めて。東京湾周辺の灯台は関東大震災で被災して建替えられ、品川灯台も明治村に移設保存されたため、現存・現役のレンガ造灯台としては日本最古の灯台。

※ブラントンによるレンガ造灯台
1873年(明治6年)7月1日点灯 菅島灯台
1874年(明治7年)5月1日点灯 御前埼灯台
1874年(明治7年)11月15日点灯 犬吠埼灯台
1876年(明治9年)10月20日点灯 尻屋埼灯台

レンガは三重県志摩郡渡鹿野島の瓦屋で竹内仙太郎が焼いたものを使用。彼の焼いた煉瓦は菅島灯台のほか、安乗埼灯台や角島灯台の灯塔内部や官舎にも使われている。
※「燈光2023年7月号 菅島灯台150年目の奇跡~幻の煉瓦職人は実在した~ 鳥羽海上保安部」によると、菅島では長らくブラントンが煉瓦造りを依頼したのは竹内仙太郎ではなく志摩市阿児町神明の瓦職人山﨑某として伝えられおり、調査の結果、山﨑某という人物は瓦屋職人の山﨑清十郎であることが判明。竹内仙太郎とともに菅島灯台の煉瓦を製造したと推測される。

 ブラントンによるイギリス本国への報告書「日本の灯台(THE JAPAN LIGHTS)」(R・H・ブラントン『お雇い外国人の見た近代日本』徳力真太郎訳/講談社学術文庫に収録)では、日本のレンガ造灯台建設にはレンガをフランス積とすることが書かれているが、実際のブラントンが建てたレンガ造灯台は菅島灯台をはじめ、すべてがイギリス積であった(菅島灯台、御前埼灯台、犬吠埼灯台、尻屋埼灯台)。これらレンガ造灯台の竣工が開始した時期にブラントンは英国へ一時帰国(1872年4月24日~1873年4月5日)しており、その後任のジェームズ・マクリッチが灯台寮に採用され御前埼灯台の建設を監督していることから、ブラントンの留守中にイギリス積にて各灯台の建設が進められたのではないかとされている(『燈光』2009年2月号「明治の灯台の話」)。

菅島灯台のイギリス積
(長手と小口のレンガが交互に重ねられているのが特徴)
ブラントンが設計した御前埼灯台の敷地内にあったレンガ塀もイギリス積

 灯台と同時に同じくレンガ造で設置された旧官吏退息所には灯台長と職員、その家族らが暮らしていたが1959年(昭和34)年8月に無人化。1963年に村松貞次郎によりレンガ倉庫とともに明治村に移築保存。1968年(昭和43年)には重要文化財に指定されている。

明治村に保存されている附属官舎 2022年12月訪問

 灯器は建造当時に第四等不動レンズ二重芯ランプ(フランス製)を使用。1919年(大正8年)に乙式石油白熱灯不動灯へ変更したが1925年(大正14年)2月19日に発煙事故によりレンズが破損。同年10月4日に国産レンズにて復旧。1929年(昭和4年)10月30日には電化・不動灯に変更され、2013年に現在のLED灯器となる。

灯台の落成式に西郷隆盛が参列したという記述がみられるものの、公式にはそのような記録はない。灯台建設中に明治天皇の地方巡幸の際に西郷が随行し伊勢神宮に参拝した記録がある(『燈光』2009年2月号「明治の灯台の話」)

灯台を模した菅島小学校の校舎
灯台までの遊歩道「しろんご海道」から眺める菅島漁港
佐田浜(鳥羽マリンターミナル)から定期船で約15分(片道510円)

参考=
『燈光』2009年2月号 (燈光会)
「燈光』2023年7月号 (燈光会)
『明治時期灯台の保全』(財団法人 日本航路標識協会)
『ライトハウス すくっと明治の灯台64基 1870-1912』(バナナブックス)
『お雇い外人の見た近代日本』(講談社学芸文庫)

航路標識番号
[国際標識番号] 2750
位置 北緯34度30分00秒 東経136度54分31秒座標: 北緯34度30分00秒 東経136度54分31秒
所在地 三重県鳥羽市菅島町122
塗色・構造 白色 塔形 煉瓦造
灯質 単閃白光 毎4秒に1閃光
実効光度 12,000 cd
光達距離 14.5海里(約27km)
明弧 156度から8度まで
塔高 9.7 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 54.5 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1873年(明治6年)7月1日
管轄 海上保安庁
第四管区海上保安本部(鳥羽海上保安部)


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