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安乗埼灯台|三重県志摩市

安乗埼灯台|三重県志摩市 2023年5月3日

1872年9月1日仮点灯。
1873年(明治6年)4月1日点灯。
リチャード・H・ブラントンによって三重県志摩半島の的矢湾入り口に八角形の木造灯台として設置。当初の名称は的矢灯台。

 安乗港は江戸時代には多くの船で栄えたが沖合には暗礁が多く事故が絶えなかったため、幕臣河村瑞賢の建議により1674年(寛文13年)に灯明台が設置されていた。当時は外国船のための灯台設置が優先であったが、ブラントンにより和船だけでなく外国船にも有益との判断から、大坂約定による条約灯台(友ヶ島、江埼、和田岬、部埼、六連島)に準ずる灯台として釣島・鍋島とともに安乗埼灯台の設置が申請された(一度目は却下されたが再申請で認められた)。
 また、難破船の多かった志摩半島沿岸では船乗りと漁民らが共謀して遭難を装って積み荷を略奪する事件が起こるなど、難破船の漂流物を待ち望む地元民が多かったという。安乗埼灯台設置の背景には、このような地元民の悪習を断ち切りたい日本側の強い意向もあったという。

『燈光 大正5年7月号』より

 安乗埼灯台は当初不動灯を予定していたが、菅島灯台(1873年7月1日点灯)が設置されることになり誤認を避けるために回転式のフレネルレンズが採用された。
 これにより安乗埼灯台は日本で最初にフレネル式多面レンズを使用した回転灯の灯台となり、英国チャンス&ブラザーズ製の六面体の第四等フレネルレンズ(太平洋戦争で被災)が30秒周期で回転していた。
 付属の官舎・倉庫・一部外壁はブラントンにとって最初のレンガ造による施設で、以降、菅島灯台、御前崎とレンガ造による灯台が造られていく。レンガは菅島灯台でも使用された三重県志摩郡渡鹿野島の瓦屋で竹内仙太郎によるもの。

 1910年に灯台敷地の海蝕により85m後方に移転。1948年に鉄筋コンクリート造に改築された。旧安乗埼灯台は東京品川区の「船の科学館」敷地にて保存されている。

2021年に船の科学館に訪れるも新型コロナの療養施設となっていて立ち入り禁止だった。
右が旧安乗埼灯台、左は旧大瀬埼灯台

参考
『燈光 2009年1月号』 公益社団法人燈光会
『明治の海を照らす 灯台とお雇い外国人ブラントン』 稲生淳/七月社

航路標識番号
[国際標識番号] 2769 [M6042]
位置 北緯34度21分54秒 東経136度54分30秒座標: 北緯34度21分54秒 東経136度54分30秒
所在地 三重県志摩市
阿児町安乗795
塗色・構造 白色 塔形 コンクリート造
レンズ LU-M型灯器
灯質 単閃白光 毎15秒に1閃光
実効光度 190,000 cd
光達距離 16.5海里(約31km)
明弧 93度から33度まで
塔高 12.7 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 33.3 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1873年(明治6年)4月1日
管轄 海上保安庁
第四管区海上保安本部

Wikipedia


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