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水ノ子島灯台|大分県佐伯市

水ノ子島灯台|大分県佐伯市 2023年10月12日

豊後水道のほぼ中央の岩礁に立つ水ノ子島灯台は1904年(明治37年)3月20日に点灯を開始。
 出雲日御碕灯台と同じく日清戦争前から設置が予定されていた水ノ子島灯台は、呉鎮守府からの沖縄、台湾への軍艦の要路であった豊後水道全域をカバーした(光達距離は20海里で佐田岬まで届いた)。 建設には航路標識管理所技手である山本哉三郎が携わっている(山本技手はほかに男木島灯台(香川)、掛塚灯台(静岡)、経ヶ岬灯台(京都)、塩屋埼灯台(福島)などを手掛けている)。工期は1900年(明治33年)から1903年(明治36年)で4年を要し、工費は明治期の灯台建設の最高額である173,230円00銭02厘(航路標識管理年報 第三年報)を費やした難工事であった。また絶海の孤島というあまりに難所への灯台建設だったため、豊後一の美人を人柱として供えたなどの噂もあったという。

 灯塔構造は円形石造(外壁は花崗岩、内壁は煉瓦材の二重構造)。石造灯塔の上に二層の鋳鉄灯塔があるものは灯台としては水ノ子島灯台のみ(灯標では根ナシ礁、西ノゴバンなどがある)。また二層あるテラスも国内では本灯台のみとなっている。海抜約19.9mで、地上から頂部までは約41.57mと岩礁上の灯台としては日本一の高さを誇る。設置時のレンズは1等レンズで、水銀槽回転装置は出雲日御碕灯台と同じ四本支柱のタイプであったが戦災でにより失われた。1951年(昭和26年)に戦災復旧整備が竣工し、レンズは3等レンズ2面、回転装置も標準のものとなった。また灯器はバビエー式石油蒸発白熱灯で、姫島灯台のソーターハーレー式とともに、日本で初めて設置された石油蒸発白熱灯器だった。
 内部昇降は青銅鋳物製廻階段で灯塔中央は重量品の巻き上げ孔を設けているため、分銅筒は壁面に取り付けられている。

設置時の水ノ子島灯台と同タイプの水銀槽回転装置(出雲日御碕灯台)

 1912年(大正元年)9月22日の台風では灯台頂部まで怒涛の飛沫に包まれたとの記録がある。

 灯台の監視地として設置された対岸の下梶寄(現鶴見町)の旧退息所(官舎)は石垣の上に暴風壁に囲まれて緑なす姿が白亜の城に見えたことから“梶寄御殿”と呼ばれる。同施設は復元整備され「水ノ子海事資料館・渡り鳥館」となっていて水ノ子島灯台関係の貴重な品々も展示保管されている。

参考
『明治期灯台の保全』(財団法人日本航路標識協会)
『燈光』2010年5月号、8月号 (燈光会)

航路標識番号
[国際標識番号] 5701 [M4912]
位置 北緯33度2分37秒 東経132度10分38秒座標: 北緯33度2分37秒 東経132度10分38秒
所在地 大分県佐伯市
塗色・構造 白地に黒横帯2本塗 塔形 石造
レンズ 第3等大型フレネル式
灯質 単閃白光
毎10秒に1閃光
実効光度 560,000 cd
光達距離 20海里(約37km)
明弧 全度
塔高 39.25 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 56.3 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1904年(明治37年)3月20日
管轄 海上保安庁
第七管区海上保安本部


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