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尻屋埼灯台|青森県東通村

尻屋埼灯台(A)|青森県東通村  2021年6月1日

 青森県、下北半島の北東の岬に位置する尻屋埼灯台は1876年(明治9年)10月20日初点。明治期の灯台としてはAランク。リチャード・H・ブラントンが最後に建設した灯台とされるが、彼は点灯の半年前には帰国し、完成までは日本人の灯台技師が建設に大きく関わっていたとされる。

 翌年の1877年(明治10年)11月に日本初の“霧鐘”が併設。地上から頂部までの高さが33mあり、レンガ造灯台としては日本一の高さを誇る。また1901年(明治34年)には電気による初めての照明装置であったアーク灯に変更し日本で初めて電化した灯台となる。それまでの二等回転式フレネルレンズと三重芯火口の灯器の光より数百倍もの光力を得たことで日本一の巨大な光を放つ灯台となったが、高額な維持費や運用と保守に高度な技術を要したため1923年(大正12年)には光力を軽減された電球に交換された。
 灯塔は外壁部と内壁部に空洞がある二重構造の円形レンガ造。灯室の踊り場(回廊)は切り込みの装飾を施してある。螺旋階段は石造。

 1883年(明治16年)10月24日午後8時30分、灯台のガラスを突き破り隕石が落下。当時の官報に割れたガラスの図とともに詳細が掲載されている。
 太平洋戦争末期の1945年(昭和20年)には、7月14日、15日にかけて米艦載機の機銃掃射、潜水艦からの砲撃を受け灯塔上部が大破。職員一名が殉職している。翌年、破壊され灯台の機能を失ったはずの尻屋埼灯台が点灯しているという目撃が相次ぎ、殉職した職員の霊が灯台を灯していると信じられ、「まぼろしの灯台」として今も語り継がれている。
 復旧は1950年(昭和25年)、灯室と階段をコンクリートにて整備された。
 1968年(昭和43年)5月16日の十勝沖地震んとその余震により被害を受ける。

現在は「のぼれる灯台」として4月下旬から11月上旬までの期間に一般公開されている。

灯台の周辺地には寒立馬かんだちめと呼ばれる馬が放牧されている。
2023年6月
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参考
『明治期灯台の保全』 財団法人日本航路標識協会
『燈光 2007年4月号、5月号』 公益社団法人燈光会
『あなたが選んだ 日本の灯台50選』 公益社団法人燈光会
『ライトハウス すくっと明治の灯台64基』バナナブックス

航路標識番号
[国際標識番号] 1601 [M6630]
位置 北緯41度25分49.27秒 東経141度27分43.9秒座標: 北緯41度25分49.27秒 東経141度27分43.9秒
所在地 青森県下北郡東通村尻屋字尻屋崎1-1
塗色・構造 白色 塔形 レンガ造
レンズ 第2等フレネル式
灯質 単閃白光 毎10秒に1閃光
実効光度 530,000 cd
光達距離 18.5海里(約 34 km)
明弧 52度から3度まで
塔高 32.82 m (地上 - 塔頂)
灯火標高 45.70 m (平均海面 - 灯火)
初点灯 1876年(明治9年)10月20日
管轄 海上保安庁
第二管区海上保安本部


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