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灯台|Lighthouse

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すずきが訪れた日本の灯台の写真を記録しています。灯台を知るために灯台に関するコラムや記事なども書いています。 ※記事・写真の無断転載を禁じます This site record…
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灯台INDEX

最終更新日:2024年10月30日 灯台マガジンのインデックス(随時追加) 訪れた灯台、コラム、記事などをインデックスしています。 ※灯台名横の(A~D)は明治期に建造された灯台を①歴史的・文化財的な視点、②土木・建築史的視点、③生活文化史的視点から『灯台施設調査委員会』(1985~1987)が判定・分類したランク。 コラム灯台の歴史《世界編》灯台の歴史《日本編》 ◆北海道◆日高門別灯台|北海道日高町 2022年7月25日落石岬灯台|根室市 2022年7月19日花咲灯

釣島灯台|愛媛県松山市釣島

釣島灯台(A)|愛媛県松山市釣島 2024年10月18日 点灯は1873年(明治6年)6月15日。  松山港沖合い西側の伊予灘と東側の備讃瀬戸航路の分岐点である釣島の西端部)に建てられた釣島灯台はリチャード・H・ブラントンによる瀬戸内海の8基灯台で最後の灯台となる。当初は今治灯台として燧灘から来島海峡の目標とされて計画されたが、現地調査を経てブラントンによって釣島へと変更されたとされる(明治37年刊「燈台要覧」)。灯塔構造は円形石造、下部に半円形石造の附属舎。灯塔・退息所・

金華山灯台|宮城県石巻市

小佐木島灯台|広島県三原市

小佐木島灯台(C)広島県三原市 2023年10月24日 1894年(明治27年)7月4日点灯。保存ランクC。 灯塔構造は円形石造で石積みの囲障がある。  糸崎港(三原市)から沖合約4kmに位置する小佐木島灯台は、来島海峡の潮流の影響を比較的に受けないひうち灘から布刈瀬戸、三原瀬戸を通過して周防灘に出る三原瀬戸航路上にほぼ同時に建設された9つの灯台・灯標のひとつ(百貫島灯台、大浜埼灯台、長太夫礁灯標、小佐木島灯台、高根島灯台、大久野島灯台、|鮴崎灯台、中ノ鼻灯台、大下島灯台

大王埼灯台|三重県志摩市

大王埼灯台|三重県志摩市 2023年5月3日 1927年(昭和2年)10月5日点灯。  三重県東部の大王埼沿岸周辺は険礁、暗岸が点在しており、古くから安乗埼、鎧埼と並び「志摩三埼」と呼ばれ海の難所として知られた。なかでも高さ8.4mの大王岩(大王島)は「伊勢の神埼(こうざき)、国埼(くざき)の鎧、波切(なきり)大王なけりゃよい」と唄われるほどで、その大岩の名は船乗りには脅威であった。同地では1913年(大正2年)に死者51名を出したサンマ漁船の遭難事故、1918年(大正7年

安乗埼灯台|三重県志摩市

安乗埼灯台|三重県志摩市 2023年5月3日 1872年9月1日仮点灯。 1873年(明治6年)4月1日点灯。 リチャード・H・ブラントンによって三重県志摩半島の的矢湾入り口に八角形の木造灯台として設置。当初の名称は的矢灯台。  安乗港は江戸時代には多くの船で栄えたが沖合には暗礁が多く事故が絶えなかったため、幕臣河村瑞賢の建議により1674年(寛文13年)に灯明台が設置されていた。当時は外国船のための灯台設置が優先であったが、ブラントンにより和船だけでなく外国船にも有益と

戸島灯台|熊本県天草市

戸島灯台(D)|熊本県天草市 2023年10月19日 1897年(明治30年)4月8日点灯。保存ランクD。 三角港や八代港から南西諸島や台湾を行き来する船舶の重要な目標として明治30年に上的島、長崎鼻と同日に点灯を開始。  1959年(昭和34年)4月まで灯台職員が灯台敷地内の宿舎に家族とともに居住し灯台の保守管理を行っていた。 参考第十管区海上保安部『明治の現役灯台』https://www.kaiho.mlit.go.jp/10kanku/toudai/maijitou

上的島灯台|熊本県天草市

上的島灯台(C)|熊本県天草市 2023年10月19日 1897年(明治30年)4月8日点灯。保存ランクC。 「戸島灯台」とあわせて天草市最古の灯台。 三角港や八代港から南西諸島や台湾を行き来する船舶の重要な目標として明治30年に戸島、長崎鼻と同日に点灯を開始した。 点灯開始から無人で、保守管理は戸島灯台の職員によって行われていた。  

御船灯標|熊本県宇城市

御船灯標|熊本県宇城市 2023年10月14日 1980年(昭和55年)12月25日点灯。 宇土半島の南、八代海の海上に建てられた右舷標識。

面高白瀬灯台|長崎県西海市

面高白瀬灯台(D)|長崎県西海市 2024年10月22日 1894年(明治27年)8月28日点灯。保存ランクD。 西海町北端の寄船鼻から沖合約7kmの干岩礁に位置する。  日清戦争の際に軍用として木造で建てられたが、1903年(明治36年)に腐朽のため改築。

寺島灯台|熊本県宇城市

寺島灯台(C)|熊本県宇城市 2023年10月14日 1898年(明治31年)5月10日点灯。保存ランクC。 三角港から沖合約2km、寺島北端に石造で築造。当時の石積みの姿を今も残す。 三角港、八代港から南西諸島、台湾への航路上の目標として同時期に建てられた五つの灯台のひとつ(明治30年に長崎鼻、上的島、戸島の灯台が、翌年明治31年に寺島、戸馳島が設置された)。寺島灯台と戸馳島灯台点灯の同年同日にも点灯を開始している。 建設時の標識名は「寺島灯標」で、戦前までは黒色であった

長崎鼻灯台|鹿児島県長島町

長崎鼻灯台|鹿児島県長島町 2023年10月19日 1897年(明治30年)4月8日点灯 明治30年に熊本から八代海、南西諸島を経て台湾へと至る航路上に整備された3つの灯台のひとつ(長崎鼻、上的島、戸島。翌年には寺島、戸馳島が設置)。初代は鉄造であったが太平洋戦争で破壊され、1950年(昭和25年)に復旧 。その後建て替えを重ね、1977年(昭和52年)に改築し現在に至る。 全国には「長崎鼻」と名の付く灯台は7基あり、鹿児島県では指宿市に「薩摩長崎鼻灯台」がある。

戸馳島灯台|熊本県宇城市三角町

戸馳島灯台(D)熊本県宇城市三角町 2023年10月14日 1898年(明治31年)5月10日点灯。 三角西港から八代海への出入り口に位置している宇都半島戸馳島南端に戸馳島灯台は建てられた。  明治時代には熊本県の三角港や八代港から南西諸島や台湾を行き来する船舶は、戸馳島灯台のある蔵々瀬戸から八代海、元ノ尻瀬戸、八幡瀬戸、そして長島海峡を経由して航行するのが一般的であったため、これら航路を使用する船舶の重要な目標として明治30年に上的島、戸島、長崎鼻の3灯台が、翌年31年に

百貫島灯台|愛媛県上島町弓削百貫

百貫島灯台(C)|愛媛県上島町弓削百貫 2024年6月3日 1894年(明治27年)5月15日点灯。保存ランクC。 福山市横島から南に2km沖にある孤島に建てられた百貫灯台は三原瀬戸航路上にほぼ同時期に設置された9つの灯台のひとつ。  設置当時は5等級6面レンズを回転させ20秒1閃光だった。 点灯開始当時は二名の灯台職員が家族とともに常駐。付属の短艇で大浜埼灯台と長太夫灯標を巡回保守していた。  1968年(昭和38年)に百貫島灯台は無人化され、以降も無人島であるものの百