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孫が見たいという母

喪女が多かれ少なかれぶち当たる?台詞かと思う。

そう度々言われる訳ではない。

私の口から『結婚はしたとしても、子供は絶対に要らない』と聞いている為、

普段はどこか諦めてもいるのだろうけど、

お酒が入ると本音が出るようで
今回も久々に母はそれを口にした。

私はこの台詞を聞く度に希死念慮に苛まれる。

まず前提の考え方として、
私は生まれてこの方、結婚願望を抱いた事が無い。
上に、子供は正直言って苦手だ。

この前提に、私は基本的には助けられている。

何故ならアラフォー喪女たる私がもし、
結婚願望があり、更に子供を望んでいたとしたら。

はっきり言って地獄だ。

もっともっと、強く、【消えてなくなりたい】と思う夜をさらに超えねばならなかった事だろう。

そういった意味で普段は、
この前提に私は救われているのだ。

しかし度々母の言葉は私を縛る。

母が悪いわけではない。
当然の願望だろう。

だが言わせてもらえば私が悪いわけでもないだろう。

仕方ないではないか。
選ばれないのだから。

誰が悪いわけではない。

『そういう人と出会ったら、子供が欲しいと思うかも知れないでしょ』

否定はしない。
そうかも知れない。

でもお母さん、貴女の娘は選ばれないのだ。

ごめんね。
貴女の娘は世間で言う【普通】にはなれないのだ。

ごめんね。
私だって【普通】になれるものならなりたかった。

普通に誰かを好きになって、その誰かに好きになってもらって、普通に傷付いたり立ち直ったりもしたかった。

でもごめんね。

貴女の娘はその土俵にすら立てない。

失敗すらさせてもらえないの。

そう思うとやはり、それはもう、
◯にたくなる。

もし私がみるからに諦めを禁じ得ないような見た目や、性格だったら、
母はもう少し楽だっただろうか?

いや、どちらにせよ彼女にとって不幸せな事に変わりないのだけど。

久々にこのパンチを喰らって
久々にメンタルが揺らいでしまった。

同志達も同じような気持ちを喰らっているのだろうか。

そしてなんとか持ち直して、
なんとか毎日を生きているのだろうか。

私は独りなんだけど、独りじゃないんだろうか。

【喪女】という蔑称にも
私は普段はなんだか救われているけど、

よくよく考えてみれば随分な蔑称だよな。

まるで死んでいるみたいだ。
(まぁ女として死んでいるという意味なんだろうけども)

この世に存在してないみたいだ。

ひとつの命に対してあんまりな名付けじゃないか。

普段は私は私だけの範疇においては、
なんとか喪女を生きている。

だが、母の子供としては
もういつ騙し騙しが立ち行かなくなるか
自信がない。

それだけが希望の無い未来よりもずっと怖い。


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