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東大阪漂着時について少々

筆が乗るうちに

 例の集会と京都街宣の後、訳もなく東大阪に流れ着いたあの頃、私にはまだ手持ちの連絡手段が無く、迷い果て、およそ2日間に渡る野宿をする羽目になった。寒い季節だったのでろくに眠れず、体温を維持するために余計に腹が減った。たった2日間の断食であったが、私の中のボーダーラインが崩壊する一歩手前までには苦しんだ。これも訳あって財布が無くなっていた所為である。色々と語るに語れない東大阪での経験は、私の人生観を音を立てて変えてしまった。私と今尚交友関係を保っている運動家各人には、浮遊感を持って感謝している。普通あの様な物事があれば関わらない様にするもの、そうされても文句は言えない。人と人との交流関係は、本当に不思議だね。途中でやや文章のブチ切りになってしまっているが、語れない部分が大半を占めているからなので、読者には納得して頂きたい。

追記

 トゥルーマン・ショーの主人公とプロデューサー(以後P)の関係性が明らかとなった脳内物語を、あけすけにPに問いかけてしまったのだが、返答は淡々としていた。若干俯瞰し過ぎで病的な気もしたのだが、賛同されてしまったのでそれはそれで困る。否定してくれたって良かったじゃないか全く。

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