歌詞、沢田研二、『麗人』


沢田研二、好きだ。沢田研二の歌う歌が好き。歌詞が特に好き。乾いて、きびしく、時にみじめだが情を捨てきれず、自分の行く先を見つめてはすぐ今だけ見つめる。女に対してやさしくないが、自分はやさしくしてほしいと願っている。常に雨が降っているようだが、いつでもやはり乾いている。

なんか気取ったこと書いてしまったが、実はそんなにたくさん聴いてるわけでもない。ベストコレクションだったかのCD を数枚持ってるぐらいだ。ミーハーもいいところである。ただ好きなのは本当で、今も実家の車には沢田研二のMDが入ってるし、私の机の上にあるプレイヤーにも沢田研二のMDが入ってる。わが家では未だにMDが現役なのだ。

ようはこの記事は好きな歌の好きな歌詞を引用して思ったこととか書いてくだけのものにする予定。出典はちゃんと書くからジャスラックはUターンしてほしい。頼む。

『麗人』(作詞阿久悠 作曲沢田研二)を最初に取り上げたい。
一番好きなところは1番サビ前の

「気ままな夢を広げる自由をあなたの腕から奪っちゃいけない」

あたり。しびれる。サビの前パートは多くの歌で声を張って盛り上げるところだが、そこでこの歌詞を伸びやかな声で歌われたらたまらない。私だけはこの人の止まり木になってあげなくちゃ……たとえそれが一瞬の【夢】でも……!って気持ちになる。根なし草な自称夢追い人と将来の見えない関係を続ける女って感じで最高である。たぶんこれがエモいという感情。

この歌詞を書いた阿久さんはたぶん女性目線で考えたんだろう。この時代に「そろそろ結婚したいけど相手のライフプランは邪魔したくないし、やっぱり言い出せないわ」みたいな歌詞を男目線で書くとは思えない(想像です)
しかもこの歌、他の部分では「結婚の約束などタブーにしよう」「ささやかなやすらぎを求めたらあなたはどこかへ行くだろう」とか言ってるので、こりゃヒモを捨てきれない妙齢の女(田舎の両親から結婚の催促あり)視点に決まりだ。西日が照り返すアパートの一室で虚ろな目をして座っている様子が目に浮かぶ。

でも「あなた」呼びの丁寧さとか、沢田研二のねっとりした歌声とかが相まって何度も聴いてるとなんだか誰視点だかまたわかんなくなってくる。それがまたいい。ジュリーはこの歌の中で根なし草の夢追い人かも知れないし、虚ろな目をしした妙齢の女かも知れないし、二人を包む西日なのかもしれない。それは誰にもわからない。なぜなら沢田研二は沢田研二だからだ。

この時代の歌は基本的に厳しい男とそれに尽くす女とか、駄目な男とそれに尽くす女みたいな構図が多くてわかりやすい。ようは2017年に発表したら炎上しそうなシチュが多いと言ってもいい。ジェンダーが絡んだ視点から見ても面白いテーマなんだと思うけど、今はその時ではない。ジュリーの歌声にただただしびれる時だ。

そしてこの『麗人』というタイトル。麗しいのは、一体誰なんだ? 献身を捧げられるほどの価値を持つ「あなた」か? 一途に相手や人生を慮れる自分のことか?それとも この歌を歌っている沢田研二自身か?
サビで繰り返されるワードである「タブー」をタイトルにしてもおかしくはないのに、ここであえて「麗人」という歌詞に絡みのない言葉を持ってくるセンス。阿久さんのワザマエが光っている。歌全体の印象をごっそりと捕まえて抱え込み、逃がさない。煮込みに垂らされた一滴のゴマ油レベルに、ビシッと影響があるタイトルだと思う。

次は何の歌にしようかな……もし「このジュリーを語れ」みたいなのがあったら言ってみてください。知ってる歌ならそれにするかもしれないし知らない歌なら私の音楽の幅が広がる。いいこと。