あたまの中から いつか薄れていってしまうことが
どうして 毎年このことを書かずにはいられないのだろう。
きっと自分の中で整理したいからだと思う。
でも、何度も書いてみても 整理できることはない。
2011年3月11日 あの日から また長い月日が経ったことを感じさせられる日がまた近づいてきた。
あの日あったことは今でも頭の片隅に強く強く刻まれていて、ときどき思い出してしまう。フラッシュバックと言えばいいのだろうか、ある言葉、地名、テレビを観ていて、あの日見た光景に似ていたり、ふとしたことで思い出す。
わたしより、もっともっともっと大変で辛い記憶を持った方々は多くいる。なのになぜ、こんなにもわたしは弱いのかと悔しく思ったこともあった。
そして、ここ数年でわたしの中で変わったこと。
あの日から時が経つにつれて自分の中の記憶が薄れてしまっていることもあるのではないかと恐ろしく感じることが多々ある。
あの日いた福島から離れて、またいろいろなことを経験して わたしは母になった。
自分の体から出てきたとは思えないほど、愛おしい息子が目の前で昼寝している。うまくいかないこともある、だけれど自分より大切で守りたい人ができたことがしあわせで、わたしの救い、げんきの源だ。
あの日は消えていってほしい記憶なはず、だけれど絶対に消え去ってほしくない。
それは あの日がわたしの「一部」になってしまったからだ、きっと。
今見えている会えているヒトや景色が有限ではないこと、いつか一瞬にして消えてしまうかもしれないこと。それをいつもどこかで恐れている。
そして、親になったからこそ 自分の子どもを守らねばと、あの日パパやママだった方々のことを思って、今はもっともっと苦しく辛く感じる。
そんな、あの日の経験とあの日への思いが何年も重ね合わさって、とても固く重い石のようになって、体の中に留まってしまったような、そして体と同化してしまったようだ。
わたしの なにか大きなものを変えてしまったからなんだ。
その根源 あの日の記憶がいつか薄れてしまうことが、わたしの「一部」が消えてしまうから恐れているのかもしれないと気づいた震災から8年。
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