第65段「歴史はすごい」
何かの作品に触れて「すごい!」って自分が思った最初の気持ちは誰かに「すごい!」って言われてから触れるのより確実にすごさが上だ。
残念なのは「すごい!」って言われて触れてみたらあまりすごく無い場合。
なのにテレビやネットの情報には「すごい!」って言葉が溢れてて、残念を増やしてる気がする。
今日、社会のプロ講師の伊藤賀一さんと話してて「なぜ歴史を学ぶか?」
それは「歴史は(良くも悪くも)すごい人や事件の集まりだから」と。
すごいヒトやモノやコトはすごいってそんなにアピールしなくても歴史の中で記憶に漉されて残されて行くのだ。
つまり他人の「すごい!」を追いかけるのでなく歴史を追いかければよいのだ。
てことは、歴史の中のすごい人が「すごい!」って言ってるヒトモノコトは「すごい!」ってことだとも言える。
何がすごくて、何がすごく無いのか?
その中で、
「すごい!」って虚構の言葉に踊らされないように。
「すごい!」って虚構の歴史に騙されないように。
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