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第250段「探し続ける人生」

いろんな人がいろんなことをいろんなレベルで問題だとあーだこーだ言う。
その問題がいろいろありすぎて、もはやいろんな人が実際にどうしていいかどう判断していいかどう対処すればいいのかすごくわからなくなってるような気がする。
誰の意見も多かれ少なかれ正しい気もするし間違ってる気もする。

先生に聞いても見解が違うし専門家に聞いても意見が別れる。
きっとほとんどのことは実はどうすればいいかなんて誰もわからないのかもしれない。
でも誰もがカンで経験則で試行錯誤で何かを決めなくちゃいけないわけで、その決め方がわからないから迷うのだけど、何を選んでももはや大差がない気もする。

実はそんな状態は今に始まったことじゃなくはるか昔からそうだったんだろう。
でもそれが加持祈祷だったり専門家の経験だったり科学的な検証だったりマスコミの報道だったり勝者の論理だったりで、なんとか気持ちを補完して騙し騙し生きてきたのが人類なのだ。
で今やその補完=次なる騙し方も見つからない状態なんだ。

そんな世界の中で、何が正解か探し続ける人生ってのも、なんていうか虚しさを覚えてしまう。
なんかこの世界の中で、別の生き方って無いのだろうか?…って結局、それも日々探し続けてるのだけど。

騙されて生きるってのは勿論嫌だけど、何も信じれないってのもとても寂しい人生だ。

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