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AD2「頭の中のゴジラ」

皆様おはようございます。バラエティプロデューサーの角田陽一郎(かくたよういちろう)といいます。
[水道橋博士のメルマ旬報 vol.93 2016年8月20日発行より一部改定]


2016年の8月1日に退職届を会社に出しました。
1994年に大学出てから就職して22年間在籍したTBSテレビにです。このメルマを読んでいる方はどんな職業の方が多いのでしょうか?その中でサラリーマンの方ってどれくらいいるのでしょうか。というのも退社をしてみて今僕が感じているこの感じは、普通のよくある気持ちなのか、変わった経験なのか、それは読者の方の人生によっても変わるでしょうけど、そもそも転職もぜず22年一つの会社に勤めているのってのは、普通のことなのか独特なのかが僕にはよくわからないからです。そして今はすごく頭がぼーっとしていて、それはこの夏の酷暑のせいなのか、先日観たシン・ゴジラのせいなのか、リオオリンピックを夜通し見ていて寝不足なのか、なんかまとまっていません。この連載で何を書こうか?こんなまとまっていない頭で何を書けばいいのか?すごく不明瞭な頭です。それは多分今まで僕を形成していた“会社”という枠組みがなくなったからでしょうし、その枠組みは束縛だったかも知れないですが、同時に僕が生きていく上での、社会に僕をはめ込むための矯正装置だったとも言えるし、社会で僕が立つための補装具だったとも思えるのです。多分僕は今その補装具を自分で外してしまって、ふらっとなっています。今までシャキっと立っていたのでしょうが、今はフラフラしてしゃがみ込んでしまっている状態です。なので、そんなフラフラしたシャキっとしない状態の頭で今筆を進めています。全くまとまった文章になる気がしませんが、そう思っているといつまでも筆が進まないので、まあ書いてみようと思います。ご容赦ください。

そもそも僕は、幼稚園、小学校、中学校、高校、浪人、大学、社会人と、ずーっと“人生という階段”をだんだんと登って生きている感じがしていたのです。まさに字面のごとくステップアップです。小学1年生が終わると2年生、小学校が終わると中学生、というふうにだんだん学年が上がってきます。そして社会人になっても、ADからディレクターに昇格して、番組の総合演出になって、プロデューサーになるというふうなプロセスを学年が上がる感じで生きてきたのだと思います。なので1994年に会社に就職して社会人になった時にも、学生を卒業したという意識がほとんどなく、毎年学年を進級してきた感覚に似ています。僕の頭の中でいつの間にかステップアップすることが人生なんだと無意識に規定化してしまっていたのでしょう。
2006年にプロデューサーになってから今年で10年経ちますが、この10年は、そういう意味ではプロデューサーという学年を毎年留年していた気がしました。そして10年たって初めて、卒業を迎えました。今はそんな気分です。幼稚園2年、小学校6年、中学校3年、高校3年、浪人1年、大学生4年、AD4年、ディレクター4年、総合演出4年、プロデューサー10年で卒業です。つまり会社という学校にずーっと40年以上いたとも言えるのです、
「お前いい加減、最後の学年に10年もいないで、そろそろ卒業しろや!」
そう先生から言われたんだろうな、多分。卒業というよりむしろ放校かな、それとも退学か。

こうして8月1日に学校の校舎の外に初めて出てみました。

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