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第273段「それがたとえ読まれても読まれないとしても」

ちなみに写真は、青山墓地。
目の前に立ち並ぶ墓標の光景が、後景で建ち並ぶビル群のまるでミニチュアのようだ。

今日はダブルブッキングが1つ、トリプルブッキングが1つ。その間の移動時間0が2つ。色々大変だったけど、リモート作業がそんなスケジュールをなんとかこなしてくれる。
一方で自分の真の問題はスキルが有っても誰かに相談しても解決策は見つからない。その問題を引きずって生きていくしかないのか。

そう思うと、うまくやるとかうまく生きていくって、結局何なのだろう?って思ったりもする。
歳取るごとに経験を積むごとに、その瞬間の個々への対応は上手になるけど、その解決策は実はどんどん朧げになる。
老眼が進むようにどんどんボヤけてくる。
この問題に解答なんて実は元々無かったんじゃないか?

この世界自体が、実は例えばボルヘスのバベルの図書館だったんだ。
とすると生きることをどんなにマニュピレイトしても結局それは何事も為さないし、それでも自分ができることといえば、たまたま自分が出会ったその瞬間の記憶をなんとか記述することぐらいなんじゃないだろうか…なんて妄想が生まれる。

それがたとえ読まれても読まれないとしても。

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