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第178段「プロデューサーの野性」

仕事でも趣味でも「続ける」ってことができる人をピュアに尊敬する。
自分も1回はだいたいできるんだ。
でもそこから2回目をどうやるかはすごく難しいし、さらにそれを“何回も”“定期的に”“継続的に”って実行するのは根気と忍耐と体力となんなら人脈とかお金とか周りの理解とかあらゆるものが必要だ。

6年前に自分も映画を監督してみて「またやってみたい!」って思ったけど、結果なかなか叶わなかった。
映画を何作も作り続けるってのは、尋常じゃない根気と忍耐と体力と、なんなら人脈とかお金とか周りの理解とかあらゆるものが必要なのだ。
それを実行できる映画監督ってのはもうそれだけで尊敬する。

スマホゲームは2度ほど作ったし、舞台演出も4回やったし、音楽フェスは5回開催した。
でもそれらも継続するって域には達しなかった。残りの人生で(細く長くでも)継続的に続けられるような何かをやったみたい。
仕事でも趣味でも研究でもいいから…とか考えると自分には特技が無いことを痛感する。

自分がやってるプロデューサーってのは本来やってることはゼネラリストなんだな。
でさらにバラエティプロデューサーとか名乗って色々やってるから、さらにやってる仕事はゼネラリストのスペシャリストなわけだ。
つまり自分の中にスペシャルなものを持ち合わせていない、色々調整してなんぼの人生。

テレビ、特にバラエティ番組を作るのならそんなゼネラリストのスペシャリストって立ち居振る舞いが上手く行くことは多い。
そんな術を身につけて、その反動で、スペシャリストへの憧憬がある。
自分は何ものも生み出していないような感覚。
それって「プロデューサー=生産者」って本来の意味と乖離してる。

プロデューサーとして一心不乱に“調整”ばかりしてると、反動で一心不乱に生み出したくなる。
調整、それは物凄く大事なことなんだけどね。
調整が無いとそもそも何も生まれないんだけどね。
でも調整せずに、リミッターなどかけずに、一心不乱に突き進む感覚、身体的にも精神的にもその野性を手に入れたい。


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