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第39段「想像力を想像する」
何かを誰かと一緒にやることになるとき、僕はその相手の想像力を想像する。
ある仕事があって「やれますか?」って聞くと「やれますよ!」って軽くいう人がいるんだけどいざ始めるとやっぱりできなかったりする。
そしてできない言い訳をあれこれ言う。
いやその理由込みで始まる前にやれますか?って確認したんだけどな。
本当にやることと希望としてやることは圧倒的に違う。
結局何かが実現できるかって、その実現までのプロセスをディテールまで想像できるかの想像力にかかっている。
例えば放送作家で面白い企画沢山言うんだけどほとんどの企画が実際には実現不可能だって作家がいたりする。実現できない面白い企画なんて、そんなの考えるだけなら誰だって考えられる。企画は実現できなければ意味がないのだから。
そして出た結果に文句を言う第三者は大体なぜそうなったかの想像力が無い人が多い。
例えば原作有りのドラマで、何で主役は俳優Aなんだ?Bの方が原作に合ってるのに!ってディスられても、大体の場合当のスタッフだってBの方が合ってるってわかってる。
では何でAなんだ?
それはBに断られたからなんだよ。
第三者のディスってる意見は当事者にとって大体はすでに通過した議論なのです。
想像力の無い人ほど何かをディスってることが多い。
それはその何かの成立過程のディテールが想像でき無い想像力の無さと、そのディスりがどのような影響を及ぼすかの想像力の無さ。
つまり想像力の無い人との仕事ほど空虚で無意味なものは無いしリカバーとフォローが大変で、できれば関わりたくも無い。
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