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AD14「甘えた眠たいことを書いてます」

皆様おはようございます。バラエティプロデューサーの角田陽一郎(かくたよういちろう)といいます。

僕の新刊『「好きなことだけやって生きていく」という提案』、またまたまた重版決まりました!4刷です!皆様読んでいただいてありがとうございます!!!!

今これを書いているのは8月20日の早朝、つまり今日発行の日です。
つまり締め切りをとうに過ぎ、それでも今までは前日までにはなんとかあげ続けていた文章、まだ書いていません。(水道橋博士、原カントくん、関係者の皆さますみません。今高速で書いています。)

まあ、理由はいろいろあるのです。
つまり物理的に書けないか、精神的に書けないか。
物理的に書けないのは、はい、それは“いいわけ”ですね。それを見越して時間を作ればいいわけですから。そして実際そういう時間は作れたわけです。
問題は精神的に書けない時ですね。
これは闇が深いです。
自分が落ちているからとか、書くことがないとか、その理由はいろいろあるのですが、
今回でいうと、
「書きたいことはあるのに書きたくない。」

なぜかというと、何かを書くというのは、自分の意見や思いを表明することですよね。
でも、じゃあなぜそれを表明するかというと、これ、いろいろ考えたのですが、というか考えてたら時間がかかっちゃったんですが、多分自分がそう感じたから、という理由以上に理由がない。

でも、それを表明したことは、それを相手に伝えたいか、というと実はそうでもなかったりするのです。
これは多分に僕の性格的なことなのですが、つまり僕はそんなに他人に対して啓蒙的な教育的な指向がないのです。
君はこうするべきだ!
とか、
社会はこうあるべきだ!
とか、
そりゃ自分の思いを書くと多かれ少なかれそういう言い方にはなるんですけど、それを相手に押し付けたりしたくないわけです。

なぜなら、自分が押し付けられたくないから。
でも僕は他人の意見を聞くのが好きです。他人の書いた本を読むのが好きです。つまり、他人に押し付けられるのではなく、自分から他人の思いに自分の意思でアクセスしたいのです。
なので新刊のタイトルも“提案”なのです。
別に僕の提案ですよ!受け入れようが受け入れまいが、それは皆さまの自由ですよ!
という甘い眠たいスタンスなのです。

で、そういう指向の趣向を、無意識にも他人に求めちゃうんだと思います。
つまり、僕の言ったことが、嫌ならば
「そんなに僕の言っていること、信じなきゃいいのに!」と。
「嫌なら、読まなきゃいいのに」と。
そんな風に思ってしまいます。
これ、実はテレビを作っている時も、僕の根本にある考え方です。
「そんなに嫌なら、見なきゃいいのに」
サラリーマン時代はなかなか言えなかったですが、でもそう思いながら実は作ってました。

でもこれアンビバレントな思いですよね。
「角田さんの言っていること、大好きです」とか、
「角田さんの文章読みたいです」
と言われると、それはもう、天にも昇る気持ちです、超嬉しいです。
つまり、褒められたいけど、けなされたくない。
はい、甘えです、眠たいことを言ってます。
これ、ほんとそうなのです。
「そんなにけなされるのが嫌なら、書かなきゃいいじゃん!」
はい、その通りだと思います。
でもね、会社辞めちゃったんです。食ってかなきゃいけない。
てことは、今僕にできる食っていく生き方で、一番の近道は、つまり
自分の思いを書くこと
なんです。
なので、書いてます。(自分勝手ですね)
で、「自分勝手だろ!」
って言われたくない。
なので、「書きたいことはあるのに書きたくない。」
という心境なわけです。

ふーん。
なかなか書けない。思いが伝わらない気がします。
なので最近僕がツイッターでつぶやいたことあげとこう。
書きたくないけど書きたい思いは、こんな感じだと思います。

「価値観の違う職種と年代の人同士が会うと、傍から見ると互いに違和感を感じてるのがわかる。
僕が10年前に経験したこと。
10年前に経験してててよかったと思う。
異文化と触れる経験で、価値観の違いは克服できるという価値観が醸造される。
人の価値観は経験で作られる。
つまり沢山経験すること。」

「例えば外国のある国のある料理屋で食べた食事が不味いと、あの国の料理は不味いと決めがち。
でもたまたま入ったレストランが不味かっただけかもしれない。
たまたま会った人が嫌な奴だったかもしれない。
それを異文化だからと決めつけるのは、その人の経験からの無意味な価値付けだ。」

「どっちの意見があってもよいのにな。自分が思ったことを自由に言える自由。
でもある考え方を表明して、その考え方の賛同者が徒党を組み始めると、
途端にその考え方が正しい、
その考え方じゃないやつはバカだ、
その考え方じゃないやつを排除しよう、と進む。
革命はダイエットとリバウンドの繰り返し。」

「なぜ、弱さは強さよりも深いのか?なぜ、われわれは脆くはかないものにこそ惹かれるのか?松岡正剛さんのフラジャイルという捉え方に昔からすごく共感している。強さを求め、弱さを断ち捨てる人や組織や社会には、僕はそれだけで何か足りなさを感じてしまう。退屈でつまらない。」

「自分のやるべきこと、自分がやりたいこと、自分がやらなくてよいこと。自分の味方、自分の敵。自分の好きなこと、自分の嫌いなこと。
他者と話すことで自分が見えてくる。
他者を批判するだけのバカにはなりたくない。」

「他人のことをバカという人ほどバカだと思う。
『自分以外はみんなバカ』って思ってる奴、タチが悪い。
決めつけてることの間違いに気付かないだけじゃなく、その決めつけで他者を攻撃するから。
『自分も含めてみんなバカ』ってくらいがちょうどいいんじゃないだろうか。
人類なんて実際そんな感じだし。」

「要するに、状況をどこまで適当に受け入れるかってことだ。ちなみに適当とはいい加減ってことじゃなく、自分に過不足ないくらいに当に適した『思い』でってこと。
人に奢るでもなく蔑むでもなく。物にこだわりすぎるでもなく淡白過ぎるでもなく。
事に過激にでもなく無関心でもなく。いい頃合いに。」

「運を開くのは結局自分次第なんだと思う。
自分の周りの環境をどう自分が見立てるか?自分の置かれた状況をどんな状況でも『うん!』と納得し、肯定的に受け入れれば、次第に運は開けてくる。『ふーん。』と否定的に捉えれば状況は変わらず運は開かないし、それは不運となる。」

テレビの中も難しかったですが、テレビの果てもなかなか難しいです。
「うん!」
でもそんな状況を受け入れよう。そんな環境を受け入れてみよう。
読んでいただきありがとうございました。

[水道橋博士のメルマ旬報 vol.129 2017年8月20日発行]

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