第5段「もう9月になってしまって、心が折れそうな人へ」

※この記事は2016年9月1日に公開されたものです。

9月1日になりました。
なんと今日は「年間を通して最も子どもの自殺者数が多い日」※だそうです。
※内閣府の統計データによる
学生もそうですが、社会人になっても、嫌なことがあると落ち込みますよね。心が折れますよね。
僕もかなり落ち込みますし、心が折れます。
特に仕事をやり始めた若い頃、慣れてなかったりすると、ひたすら頑張ってしまって、心が折れてしまうことがあります。
僕らのテレビ業界で言うと、アシスタントディレクター(AD)って本当につらくて過酷な仕事現場で、4月に夢を持ってテレビ業界に入ってきても、秋ごろになると辞めちゃう人も多いんですよ。
特に真面目な人ほど、真面目に仕事をこなそうとして、自分のキャパを超えてしまって、仕事がこなせなくなり辞めちゃいます。
そんな人達に向けて、僕が実践している2つの方法を書いてみます。
1つは、「次元を超えろ」ということ。もう1つは、むしろ「心が折れてしまえ」というお話です。
まあ、聞いてください(笑)。

心が折れない方法

心が折れてしまうのってどんな時ですか?
仕事でもプライベートでもうまくいかない時や失敗した時だと思います。そんな時って、実は何かを失敗したという事実より、それをまわりの人に見られたとか、会社でいえば上司や同僚に低く評価された時が多くないでしょうか。
“この人に認められなきゃいけない”と思っている時に、その人の予想を下回る成果しかあげられない時に落ち込む。僕の経験で言うと、仕事の場合はそういう風に他人の目を気にするケースが多いです。
チームで仕事している場合は特にそうなんじゃないでしょうか。
そんな時に、僕がシンプルにやっていることがあります。
『この人たちに認められなきゃいけない』って思ってることの次元を超えちゃって、さらに高い次元(もしくは違う次元)で『自分のやっていること自体の意味を考えて行動する』ということです。

僕は自分の企画が会社に採用されたことが、実はほとんどありません。
でも、かなりの数の自分の企画は実現させています。
それは自分の行動理念を、“採用・不採用”という次元で考えるのでなく、“実現する・しない”という次元で考えるようにしたからです。
僕は企画会議で大げさでなく何百回も企画を却下されたことがあります。当然落ち込むこともありましたが、ならば企画会議という組織のフレームからはみ出して、企画を実現させようと思い立ったのです。
企画を「採用・不採用」という基準で考えるのではなく、まずその企画が実現するような環境から作り上げることを考えました。要するに既存のレギュレーション(=規制・規則)で判断されるような案件で勝負するのではなく、企画自体が実現するように、レギュレーションから新しく作り上げるのです。
アイデアをレギュレーションに合わせるのではなく、そのアイデアがカタチになるようなレギュレーションから作ろうと考えたのです。
レギュレーションを作るところから始めることは、当然難しい作業です。
僕の場合は、テレビ局の編成会議という会議で企画が通らなかったので、編成会議の選考基準(視聴率)とは別の実現方法(会社の利益を生み出す方法)を編み出して「オトナの!」という深夜番組を実現しました。
もう少しこの次元の変え方について、いろいろ説明しますが、意外と泥臭かったり、子供じみた屁理屈にも聞こえることが多いです。
たとえば、会社ってあまり意味のない会議が多くないですか。ならばその会議に貢献するよりも、そのくだらなさをよくかみしめて、その会議を公然と外れたり、会社にとって建設的な方向で、会議をつぶすことを画策したほうが、よかったりします。
どうしても相手とケンカをしなければならないときは、どちらが悪いかの犯人探しではなく、その後どうしたらいいかを考えながらケンカをしてみると、相手を怒らせないように我慢し続けるより建設的だったりします。(国の外交関係だってそうだったりしませんか)
遅刻を10分すると怒られるけど、1時間遅れると、むしろ心配されて理由を尋ねられたりします(笑)。
この次元を超えたチャレンジに挑戦すると、今までの他者の目線を気にしていた自分とかが、途端にアホらしくなります。もっと別の次元での目標や基準があるからです。
そして、そもそも他人ができないことをやろうとしているので、失敗したって当然だと、心が軽くなったりもするのです。
『死なない程度に折れろ』
もう1つは、“心が折れない方法”として、むしろ「折れろ」、もう「折れちゃえ」ばいいんじゃないみたいな話です。
でも、ひとつ大事な注意があります。
「死なない程度に折れろ」
ってことです。それは人生が崩壊しない程度の“折れ”じゃなくちゃいけません。つまり、心が折れてもリカバーできる、自己再生できる力を身につける必要があるのです。


僕はテレビ業界に入って来たばかりのADには、「適当に仕事しろよ」ってよく言います。
適当っていうのは“いい加減”っていう意味によくとらえるんですけど、適当っていうのは“当てはまる”という意味ですから、要は“過不足なくやりゃいいんです”。
まじめな人って大体、「過」でやっちゃうから疲れちゃって折れちゃうんです。当然不足しても怒られます。
でも、まずはそれは多過ぎちゃってるのか、不足なのかっていう判断を自分自身がするというのが大事です。他人の目はとりあえず置いといて、自分自身で判断して、多くやり過ぎて失敗したな、疲れちゃったな、もう仮病でもなんでもいいから、(自分が崩壊する前に)今日は会社休んじゃおうかな、とか自分にとって“過不足なく”“適当に”判断するしかないのです。
失敗しても成功しても人生は続くのです

自分が“崩壊しない程度”を、自分が失敗する中で徐々に見つけ出すんです。
特に若い方に言いたいのは、僕が半世紀近く生きてきて思うことですが、「うまくいかないこと」というのは、悩もうが悩むまいが、どうせこれからの人生日々ごまんとあるということです。
絶対あります。(今もあります笑)
だからまずは、死なないことだけ、気をつけてください。
「うまくいかないこと」もありますが、それに代えられないぐらい「楽しいこと」もありますから。

僕も、入社2年目のAD時代に心が折れて3ケ月ぐらい会社休んだことがあります。
そういうふうに何か心が折れる体験をして、そういうのを経験した上で適度な量を学ぶってことが折れない心っていうか、折れたからこそ人生に役立つ心になるんじゃないかなと今は思えます。言うなればあのAD時代に、心が折れて3ヶ月休んでないと、今の自分はなかったというか。その後ディレクターにもプロデューサーにもなってなかったと思うのです。
でもそれは、やはりそのとき「心が折れて」3ヶ月休んだから。
“死なないで”戻ってこれたことが、一番重要なことなのです。
「死なない程度に、死に物狂いでやる」
これが仕事で心が折れそうになっている人への、僕のささやかなアドバイスです。
でもそれは自分にも、言ってたりして。

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