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第270段「自由の感覚」

例えば人に「この◯◯いいですよ!」と薦められる。
以前なら「見なきゃ!」とか「行かなきゃ!」と(性格的にも、職業柄にも)思っていた。
でもコロナ禍で変わったのは別に「見なくても、行かなくても、いいや!」になったこと。
その機会が訪れたら見るし、縁が無かったら行かない。それでいいとなった。

「あるものをいい!」と思うか「あるものをひどい!」と思うかって、その“あるもの”に内包されてるわけでは無いのだ。
そのあるものに自分がどうアクセスするか?どこから見るか?どのように感じるか?次第なのだ。
つまり、いいもひどいも自分がどう生きてきたか?これからどう生きるか?次第で、それを自分が自分で選択することは、とてつもなく自由なことなのだ。

その自分の心境の変化は「世界には無数のいいもの」があって、それらには「ほとんど出会えない」ままどうせ終わると解ったからかも。
つまり「自分から探すのではなく、来たものを受け入れる」で、自分にとってはそれこそが自由だと知ったからなのだ。
すると「自分の周りのほとんどの◯◯」が「とてもいいもの」に変わったのだ。とても奇妙な感覚なのだけれども。

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