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第276段「言葉に篭る意味」

コロナ篭りのおかげで朝8時半からのラテン語とギリシア語のリモート授業を3ヶ月間受講して今日でとりあえず終了。
習得できたかはめちゃくちゃ心許ないが少なくともその言語構造の骨格は理解できた。
むしろ今までは西洋文明、近代文明の骨格をほとんど理解してなかったことに気づけたことが最大の収穫。

自分の脳内思考の深層に刺さる経験だった。
今までのネットやマスコミや口コミからの浅薄な情報をインプットして横に拡張されていく感覚というより、その一つ一つの情報の深遠に潜っていく感覚。
すると浅薄な情報の繋がりだけでは見えてこないものが見えてくる。
今まで何も見えてなかった気がする。

例えば昨今使われる言葉、インフルエンサー、東大脳、バズる、リテラシー、ソーシャル、リーチ、コミュニケーション、クリエイター、ブランディング、マーケティング等々、それらの言葉って使われてる以上の意味を持っていて、それらの意味が捨象され過ぎて使われて、より現象の浅薄さを助長している。

“篭る”ってことは、それらの言葉に篭っている深遠なところにたどり着く行為なのかもしれない。

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